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重松清さん「ひこばえ」インタビュー 父の不在という「穴」、そのままで 

重松清さん=朝日新聞出版・片山菜緒子撮影

 重松清さんの本紙連載小説『ひこばえ』(朝日新聞出版)が刊行された。2002年の『流星ワゴン』、08年の『とんび』と、父と息子の関係を書き継いできた作家が、今回その先に示したのは、死から始まる父子の物語だ。

 背景には自身の父の死があった。16年1月に父を亡くした。その4月から早稲田大学の教壇に立ち、若者に教える立場となった。切り株から新しい芽が生えてくる「ひこばえ」のように、親から子へ、若者へ、とバトンタッチを繰り返す、人生の転機が重なった。「おじさんの日々も終わりに差し掛かっている。『おじさん後期』に何を書こうか。おやじがいなくなったときの不思議な感じを書きたかった」

 主人公の洋一郎にとって小学2年のときに家を出た父の記憶はおぼろげだ。ある日突然、父の訃報(ふほう)が届く。洋一郎は一人暮らしだった父の部屋を訪ね、父と関わった人々に出会い、父の姿を作り上げてゆく。「父はどんな人生だったのか。ミステリーなら謎解きをするが、僕は謎と共に生きていく。謎を受け入れていく小説を書きたかった」

 重松さん自身、父を失った喪失感はなく、新しい関係ができたという充実感があったという。「死んだおやじはさあ、と身内で話をしているとき、そこには『死んだおやじ』という存在がいるんだよね。故郷の岡山にはいないけれど、不在という存在感がある。心にぽっかりあいた穴は埋めなくていいと思った。不在を埋めるのではなく、虫食いだらけのおやじの人生をそのまま受け止めればいいのかな、と」

 小説の執筆では取材を大切にしてきた。『ひこばえ』では、遺品整理の現場を訪れ、自然葬の島で散骨風景を見た。11年3月の東日本大震災後、被災地に通い続けている。今年2月にはラジオの取材で宮城県山元町を歩いた。「被災地で出会う人はみな誰かの遺族なんだ」。昨年夏に28歳だった一人娘の遺骨の一部がようやく見つかった、という夫妻に話を聞いた。「何も手がかりがないのが一番苦しい。自然葬の島を取材して、どこかに手を合わせる場所や、思いを向ける先があることはいいなと思った」

 何を見て、どう書くか。小説もルポも「一期一会」が好きだという。そのときの自分にとって一番切実な問題をテーマにしてきた。結果、作品は社会と強く響き合う。「いくつになっても書きたいことがどんどん出てくる。年ごとに見える風景が変わるから」(中村真理子)=朝日新聞2020年3月11日掲載