2000年代の初め、作家の方から須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』をプレゼントしていただいて、須賀さんの丁寧なものの見方に驚き、一気に引き込まれました。この本は、須賀さんと親交があった大竹さんが、ミラノやローマで須賀さんの足跡をたどり、作家デビューまでの東京での20年間にせまった作品。昨年末、文庫を見つけて読んだのですが、人の情熱をかき立てるものが須賀さんの文章にあって、それがリレーのように大竹さんからさらに私や読者に伝わりました。
印象深かったのは、須賀さんが小学5年生の時に「なにかを考えていて、ふと私というものがいる、ということにとても感激したんです」というインタビューの言葉です。自分を俯瞰(ふかん)して見るという姿勢が大竹さんにもあったのでしょう、最終的に私たち読者にもその大切さを気づかせてくれた。演奏でも曲に入り込んでいく自分と冷静に見ている自分とのバランスが保てている時が私は心地よい。小中学生のころからあった感覚です。
須賀さんの文は長いのですが、スピーディーでいかに簡潔に短い言葉で表すかということが重視されがちな世の中で、そうではない時間の流れ方が感じられる。早い成長や目に見える成果が求められることも多いですが、時間をかけて生きていっていいんだよと語りかけてくる。そんな珠玉の作品を、大竹さんの視点もお借りしながら咀嚼(そしゃく)していくのがいとしい時間です。
私も本を片手にイタリアを歩いてみたくなりました。今年はヴェネツィアの室内楽団とのツアーも予定されていて、イタリア語を習い始めました。イタリアがやって来たなあと感じます。(文・久田貴志子 写真・横関一浩)=朝日新聞2020年3月18日掲載