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宇野常寛「遅いインターネット」 読むと書く、往復で鍛える

 走る著者を見かけたことがある。私も同じ高田馬場の住民で、宇野さんのランニングコースである新国立競技場までの道のりには馴染(なじ)み深い。走りながら書いたという本書には、どんな思考の痕跡が刻まれているのか。

 ビジョンなき東京オリンピックに始まり、ポピュリズムに侵食された民主主義、壁を築く方向に転じる世界情勢、ニュースを脊髄(せきずい)反射的にしか判断できない大衆……と、本書には怒りと絶望が横たわっている。しかし、著者はその感情に飲み込まれることなくこれらの原因を突き詰め、処方せんを提示する。それが「遅いインターネット」だ。

 正直に言うと、私は本書で語られていることのほとんどをここで初めて知った。平成が政治改革と経済改革に失敗した時代であったことも、Anywhereな人々とSomewhereな人々の違いも、「ポケモンGO」がGoogleの思想を体現するゲームだということも、自己幻想/対幻想/共同幻想からなる吉本隆明の思想も、恥ずかしながら知らなかった。しかし、初耳なのに驚くほど身体的に響いてきたのは、これらが現代を生きる私たちの体感を端的に言語化しているからではないか。

 先に挙げた怒りや絶望の原因は私たちの思考力のなさにある。インターネットは速さや発信能力をもたらしたが、「目に入れたいものだけを目にし、信じたいものだけを信じ、発信する快楽に身を任せてしまうのであれば意味はない」と著者は言う。

 遅いインターネットとは、「読む」と「書く」の往復運動によって批評的な読解力や新たな問いを生むような発信力を身につけるための訓練だ。社会を構成する個々人の足腰から鍛えていこうという非常に地道な、しかしそこに着手しない限り何も変わらないような、極めて本質的な試みだと私には感じられた。

 流れる景色に刺激を受ける。感覚や記憶が外部と接続され、思わぬもの同士が結びつく。疲れるが心地はいい。走ることと考えることはよく似ている。=朝日新聞2020年4月11日掲載

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 幻冬舎・1760円=2刷2万部。2月刊行。担当編集は「情報過多なSNSから一度距離を取ろうという時代の空気にマッチした。普段批評を読まない人にも届いている」と話す。