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個人書店の通販リストを作ってみて、いま思うこと 里山社代表・清田麻衣子さん寄稿 

熊本市の橙書店。古本屋ではないのに画一的ではない本棚は、最新刊と、発売後時間を経た本も等しく並んでいるから

「はみ出し」気質の同じ匂いがする、小さな出版社と個人書店

 「里山社」の名から、「ほっこり」した穏やかな人物を想像していただいている人もいて恐縮することがある。そもそも社会からはみ出している者が一人で出版社なんかやるのだ……と言うとさすがに言い過ぎだが、少なくとも私は自分のことをずっと「はみ出してるなあ」と感じながら過ごしてきた。社会に出てからは特に。会社に自分を合わせられず、ハタ迷惑にも6回転職した。そしていい加減「会社員は無理かも」と気づき、2012年に一人で出版社を始めた。

 だから、わかるのだ、同じ匂いは。一人で書店をやっている人が(かならずしも)、ほっこり系の「いい人」なわけがない。いやもちろん表向きはそんな顔をしている個人経営の書店主も、その根っこには、どこかアウトロー気質というか「はみ出し」気質がある、と、私は睨んでいる。

 私が2012年に出版社を始めてからも、みるみるうちに一人、もしくは少数規模の出版社が増えた。そして歩みを揃えるように、個人経営の書店の数も随分増えた。お互い決して経営がラクなわけではないのだが、小さな版元と小さな書店は、日本中にポツポツと、しかし熱い火を灯し、互いの明かりに照らされるように共存してきたと言ってもいい。それは確実にここ10年間の変化であり、画一化いちじるしい街に灯る、微かな希望の灯でもあり、どこか「同じにされてたまるか!」というパンクな者どもの、のろしのようでもあった。

 決して「小さいことがいいことだ」と言いたいわけではない。大手の出版社でしか生まれ得ない本がある。尊敬している編集者もいる。また大手チェーン書店で良くしていただいている書店員もいるし、巨大書店にしか担えない役割があり、私自身、客としてどちらも必要だ。

 ただこの稿で、出版業界の隅っこに棲息する私が声を大にして言わなくてはならないのは、小さい出版社だからこそ生まれた本というのも確実にあって、それは時として、巨大な本の流通の中では埋もれてしまうような本だったりするということ。そして、そういう本が息をできる、むしろ生き生きできる場所が、個人経営の小さな書店には、ままあるということだ。また、そのような個人書店の魅力とは、棚が店主の顔をしているということ。日本中、どの街にも同じ店、同じような再開発が進むなか、その街にしか居ないその人に会いに行くことと、その店で味わう喜びは、とてもよく似ているのだ。

東京、国分寺の早春書店の店先。店主の下田裕之さんは、チェーン書店勤務後、独立して開店。下田裕之さんは『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)の著者の一人でもある

心の拠り所になった、さまざまな個人書店との出会い

 「少部数の本を顔の見える相手に届ける」。

 最近よく耳にするこの言葉はつまり、取次から発売日に本が自動的に送られてくる「パターン配本」という従来の大規模な出版流通システムではなく、書店員が「自分の店で売れそう、売りたい」と思った本を、時に常連客の顔を思い浮かべながら、冊数を決めて注文する「注文出荷制」というシステムを支える考え方だ。この方法によって、私のような一人出版社でもなんとか商売を続けていられている。個人経営の書店は、大概この方法で本を仕入れている。だから一冊一冊を吟味して仕入れてくれる店主との間には、忘れられないエピソードが生まれることがある。

 古本と新刊を扱う、吉祥寺「百年」の店主、樽本樹廣さんは、いわゆる「お愛想」を言わず、いつも「ほんとう」のことを言う人だ。その彼が、東日本大震災後の東北地方の人々を撮影した肖像写真集『はまゆりの頃に 三陸、福島2011〜2013年』を、躊躇うことなく「いい本ですね」と言ってくださった。新人写真家だった田代一倫の、名もなき出版社である里山社が出した1冊目の写真集だ。写真集の古書も多く扱うこの店で、プライドを持って仕事をする、信頼できる店主からのまっすぐな言葉は、不安な船出に何よりも励みになった。

 広島の尾道で、深夜23時から朝まで開店し、新刊と古本を売る「古本屋 弐拾dB」の藤井基二さんとは、いまだ面識がない。しかし藤井さんのツイッターの投稿は、実際に見た光景のように、私の中に残っている。学芸員であり美術評論家の笠原美智子さんが書いた、女性やLGBTQのアーティストの表現の歴史を綴った『ジェンダー写真論 1991-2017』を買い求めた女子大生が、そのままお店で読書していた。彼女は途中、本から視線を上げ、「辞書ありますか?わからない言葉があって」と尋ねたという。彼女の純粋な好奇心に心打たれたという藤井さんの投稿からは、尾道の静かな夜の本屋で、未知の刺激に惹き込まれる若い女性の姿がありありと浮かび、気持ちが温かく満たされた。

 金沢の新刊書店、石引パブリックで開催した富山のライターの藤井聡子さんと、金沢の古書店、オヨヨ書林の山崎有邦さんのトークショーは、富山にUターンしたライターの藤井さんのエッセイ『どこにでもあるどこかになる前に。富山見聞逡巡記』の刊行記念で開催した。再開発で変わりゆく富山市に戻った藤井さんが、個性的に生きていく人や場所に出会ううちに自分の居場所を見つけていく10年間の記録だ。山崎さん、藤井さん、そして店主の砂原久美子さんは、それぞれ2000年代後半にUターン。東京に疲労を感じて戻った地元だったが、それぞれいかに戸惑い、葛藤しながら地元の人たちと繋がりを築き場所を作ってきたかを、互いの労をねぎらうように語り合った。それぞれが積み重ねてきた時間が一同に会した夢のような一日だった。

早春書店の本棚。古本がメインで、セレクトされた新刊も人気が高い

 この8年間、ここには書き切れないほどたくさん、さまざまな地域の個人書店の店主と出会い、そして里山社の本にまつわるエピソードが寄せられて、沈みそうになるたび励まされた。同じ時代に、個性のバラバラな店主が作った魅力的な場所と、いつもどこかで繋がっているような心強さがあった。そのようにして8年が経ち、どの会社も続かなかった私が一人で始めた里山社は、いつしか私にとってもっとも長い居場所になっていた。心にパンク魂を潜ませる店主が作った場所は、きっと近所のはみ出し者たちの居場所でもあり、私にとっての心の拠り所でもあったのだ。

SNSに上がってきた個人書店の叫び

 いつも気丈な(に見える)熊本の橙書店の店主、田尻久子さんの沈痛な声を聞いたのは、3月終わりのこと。県外から来るお客さんも多かった橙書店は、感染防止のための移動制限が叫ばれ始めた3月の半ばごろからすでに、客足が落ちていたという。カフェスペースもある橙書店は、田尻さんのもとへ、止まり木のようにお客さんが心を休ませにくる。開店以来、お客さんとの対面の販売を大切にしてきた田尻さんが、通販を始めることにしたということだった(4月21日現在準備中)。電話の声はいつになく重たかった。

橙書店の店内。店主の田尻さんはこのカウンターでお客さんと対面しながら接客する

 その後程なくして政府の緊急事態宣言が出された。SNSでは、よく知る個人経営の書店店主の叫びを、毎日目にするようになった。コロナウイルス感染防止のための外出自粛要請により、国からの補償もないままに、個人経営の書店の数々が、店舗の営業時間短縮、もしくは営業休止に追い込まれようとしていた。そもそもギリギリで運営している書店の売り上げが激減していることは明らかだった。命取りの事態だった。そんななか、通販サイトを始める店がポツポツと出てきた。その後、国民の不満を受けて徐々に「協力金」などお金による支援が拡大されつつあるが、4月21日現在、それだけで数ヶ月乗り切れるほど満足のいくものではなく、通販でなんとか食いつなぐという道を模索している店が多く見られた。

インターネットの海の中で、個人書店の小さな灯火をたいまつに

 通販サイトを覗くと、定型のウェブフォーマットを使っても隠しきれない「お店の匂い」が漂い、お店に行ったような気分になれる楽しさがあった。新刊書店でも、並んでいる本のチョイスに店主の顔が浮かんだ。また、ZINEなど「ここでしか買えない」ものをたくさん扱う店もあった。

 Amazonはとても便利だし、里山社の本も扱っている。もはや多くの版元も消費者も、Amazonなしで暮らすことは難しいだろう。しかし一方で、Amazonは「生活必需品や衛生用品、そのほか現時点でお客様が日常生活を維持するために最も必要とされている商品」を優先的に入荷する、と、Amazon物流拠点を利用する取引先に向けて発表(2020年4月21日現在)、その結果、本の入荷は明らかに抑制されている。これは出版社には打撃であるものの、個人書店にとっては小さなチャンスかもしれない。とはいえ、送料無料の巨大サイトAmazonに、個人店の通販サイトの営みは、やはり蟻の一撃だ。そもそも書店は、利益率のとても低い商売だ。送料無料にしたら利益はほとんどなくなることから無料にはできない。

 また、リアル世界ならすぐに発見できた個人書店の灯火も、インターネットの海の中で個人が立ち上げたサイトがぽつぽつと灯す明かりは、見つけ出すことが難しい。ならば、それらのサイトを一望できるリストを作ってみてはどうかと考えた。小さな灯火も束になれば、たいまつくらいにはなるのではないか。個性的な本が好きなお客さんは、確実に一定層いて、外出自粛の現在、画一的でない書店の薫りを嗅ぎたいと思っている人も一定層いるはずだ。

 個人経営の書店にはファックスがなく、メールで新刊情報を流すことも多いので、私は新刊が出るとお店をリスト化していた。また里山社は、アート、文芸、エッセイ、サブカルとジャンルレスのラインナップで、文芸が強いお店、アート系、絵本が強いお店、サブカル色が強いお店など、新刊を出すたびに新しい店が追加され、バラエティに富んだリストが手元にあった。計画性のない出版が初めて生かされた瞬間だと思った。

 とはいえ、各店舗のURLをリスト化していく作業を一人でやっていてはいつ完成するかわからない。「WEBmagazine温度」を運営し、ライターをしながら里山社のみならず、いくつかの一人出版社の営業を手伝ってくれている碇雪恵さんに声をかけると「モヤモヤしてたので、書店さんのお役に立てるのが嬉しいです!」と二つ返事で協力してくれた。彼女もまた、書店営業もままならない日々、SNSで流れてくる苦しい書店の叫びに胸を痛めていた一人だった。

 そしてもう一人、一昨年、某版元を退社し、フェミニズム出版社、エトセトラブックスを始めた松尾亜紀子さんにも声をかけた。彼女は新刊の納品間際にも関わらず、快諾してくれた。一人で版元をすることは、その出版行為自体が運動のような側面を持っている。松尾さんは一人版元の強みを生かし、とても意識的に世の中を変えようとしている人だ。同じ時代に一人で出版社をしていることが、心強い存在だった。

4月8日に投稿された里山社のTwitter。個人書店通販リストが発信された

 力強い協力者を得て、二日でリストは完成。スピード重視でnoteにアップすると、たちまち話題が広がった。たくさんの「ここも追加してほしい」という声も寄せられた。個々の店の売り上げに大きく貢献できる訳ではないかもしれない。しかし、それぞれに闘っている現状が可視化されるきっかけになればと思った。

 その結果、リストに掲載された書店の店主から驚くほどたくさん感謝の言葉が寄せられた。その声と熱には、いかに今、それぞれ悩みながら孤独に闘っていたかということが透けて見えた。(リストはこちらから

すべての人はどこかで誰かと繫がっている

 リスト化しながら、私もいくつか本を買った。大雨の日、チャイムが鳴った。ドアを開けると、まだニキビ痕が残る10代のあどけない郵便局員が、マスクなどしていられなかったのだろう、体も顔もびしょ濡れで、私が頼んだ本を手に、立っていた。労いの言葉をかけても彼はただ頷くばかりで、何も言わずに去っていった。数日後、私の住む地域の郵便局の本局で、コロナウイルスの感染者が出たことを知った。感染した局員は10代だという。すぐに彼の顔が浮かんだ。

 今回痛いほど思い知ったこと。すべての人は、どこかで誰かと繋がっているということ。出版社も、印刷所も、取次も、書店も、読者も、そして物流業者も。「顔の見える相手に本を売る」と言いながら、私は、本を届けてくれる人たちの顔が見えていただろうか。何かが生まれたら、たくさんの人を介して、人に届く。普段の生活でどんどん見えなくなってきていた「人」の存在が、皮肉にも感染症という病を通して、くっきりと見えてきた。

 今すぐに、すべての事業者に、細かく行き届いた補償が必要だ。また、私たちの生活をなんとか成立させるために、本のみならず、あらゆるモノを運んでくれている郵便局、宅配業者の方々に感染が広がっている。お金で解決できることは限られているが、せめてその方々への手当が必要だ。

 どの店も、1店舗も無くなることなく、それぞれの持ち場で、「モノ」の間にいる人の存在を確かめながら、来たるべき日を待ちたい。傍らの本とともに。

※文章を一部修正しました(2020年5月1日)