ただ「物書き」として食べていきたかった
――私も学生時代に『BOYS BE…』を読んでいました。「恋愛がこんなにうまくいくはずがない」と思いつつ、どこかで期待してしまう罪深さがありました。
今は更生してまじめな人間をやっています(笑)。
――『BOYS BE…』の原作者だった板橋さんが、児童書を書くことになった経緯を教えてください。
ふつうに考えると変ですよね。僕は『BOYS BE…』で知られているんですけど、その前は雑誌「週刊プレイボーイ」のアンカー(記者)でした。プロレス好きとして知ってくれている人もいますし、コラムニストをしたり、ゲームのシナリオを書いたり、演歌の作詞をしたこともあるんです。僕は小説家になりたいとか、原作者になりたいとかではなくて、ただ物書きとして食べていきたかったんです。あとはそこで知り合った人間が広げてくれた「芋づる」を引っ張っているうちに、たどり着いたという感じです。
もちろん児童書はずっとやりたいジャンルではあったんですけど、これだけがやりたかったわけではなくて。物書きという意味で自分のなかで一貫性はあるんです。
――なぜ「児童書をやりたかった」のですか?
それは僕の読書体験と関係があります。僕たちの世代は誰でもそうだと思うんですけど、最初は江戸川乱歩の『少年探偵団』のような少年小説を読みました。そのあと星新一を知って、日本のSFを読むと同時に、北杜夫にいく。そこから「第三の新人」を知るようになって、辻邦生なんかの純文学の世界を知るようになった。
その流れを見ると、読書の入口ってすごく大事だなあと思ったんです。ただ、江戸川乱歩は大好きなんですけど自分には『怪人二十面相』を書ける自信がなかったので、そうではない児童物を書けたらいいなぁと。
――今回の『8・9・10!(バクテン)』は、小学生の女の子と見知らぬ「おじさん」との交流を描いています。この題材を選んだのはなぜですか?
僕が話を書いた『パパはわるものチャンピオン』(岩崎書店)という絵本が映画化されたとき、主人公をプロレスラーの棚橋弘至選手が演じてくれたんですけど、その相棒ギンバエマスクは田口隆祐という新日本プロレスの選手が演じてくれたんです。できあがった映画を観たら、田口選手の演技が素晴らしくて。「ギンバエマスクはどんな私生活を送っているのかな」と考え始めたんです。絵本を書いたときには思いもしなかったんですけども。
それと、先ほどお話しした北杜夫。彼は斎藤茂太という有名なお医者さんの弟で、その家に居候していた時期が長い。斎藤茂太の子供をかまったり、無理やり漫画を読ませたりしたってことをエッセイに書いていて、『ぼくのおじさん』という児童書もあるんです。
そういうおじさんって、すごくいい存在だなって思っていて。親とか先生が教えてくれないことを教えてくれる。無責任な立場だからこそ与えらえるもの、そういうものをくれる人が、子供に影響を及ぼす話を書きたいなと。それで田口選手が主人公だったらどうなるんだろう? ということで物語ができたんですね。
――小学生の女の子の両親が描かれないのも、おじさんを際立たせるためですか?
それも大きいんですが、もうひとつ理由があって。はっきりと書いてはいませんが、女の子の親はシングルマザーという設定で。今は格差社会ってよく言われますけど、貧富の差みたいなのは僕もすごく気になっていて。だけど、「万引き家族」だとか、「岬の兄妹」っていうとんでもない貧困を描いた映画があるんですけど、これじゃねーな僕が書くのは、って気持ちもあって。もっと身近に転がっている、見えにくい格差みたいなもののなかで生きなきゃならない子を描いてみたいなと思っていたんです。
それと、子供とおじさんの関係といいますか、大人の世界で「サードプレイス」って言葉があるじゃないですか。職場と家庭以外の、居酒屋さんみたいなところをサードプレイスっていいますけど、子供にもそういうものが必要じゃないかと。プレイスでなくて、「サードパーソン」ということでおじさんを描いてみたかったんですね。
――大人だけでなく、『8・9・10!(バクテン)』に登場する子供たちはみんな、ひとクセも、ふたクセもありますね。
僕自身が素直な子じゃなかったというのもあるんですけど、僕のなかで素直ないい子っていうものに不信感があるんです。素直ないい子の8割くらいは素直ないい子を演じているんじゃないかという気がしていて。それと、子供でも「自分」というものを考えると思うんですけど、考えている子というのは、素直ないい子になれないんじゃないかと。
今、こういう状況で、コロナのあとは世界が変わるだろうみたいに言われていますけど、僕のなかでは3.11のときに、今までのようにはいくわけないだろうっていう気持ちが起きていて。そこで発想の転換があったんです。子供の価値観だとか、こういう風に育てればいい大人になるっていうのは、通用しなくなっているんじゃないかと。
コロナが起きて、格差社会がさらに広がりかねないとき、大人の言う建前をそのまま受け入れていたら、とてもじゃないけれど子供の生命力がついていかない気がするんです。大人に向かっていい顔をしながらも「本当かよ?」って思う子供じゃないと、これからはきちんとした大人になれないような気がするし、大人の誰か、親や先生は言いづらいだろうから、おじさんみたいな人が「お前が思っているのとはちょっと違うぞ、人生っていうのは」っていうことを教えてもいいんじゃないかなという気がしています。
地点と地点が「リアル」であれば想像で描くところもはずれない
――「人の心をつかむ物語」をつくるために心がけていることを教えてください。
やっぱり自分のなかでリアルなことが入っていないとダメだと思うんです。昔の児童モノに多いんですけど、素直でいい子が明るい人たちに囲まれてみたいな話もあるんですが、僕はそういうものに感動できない。だから自分が感動できるような人物を作らないとダメだし、エピソードにしても、自分のなかでピリっとくることが入っていないとダメだと思う。全体としては作り話なんですけども、細部に自分の体験みたいなものが入っているとか。
たとえば、今回の本に出てくる食堂のおじいちゃんおばあちゃんがいますよね。あの食堂には石神井公園(東京都練馬区)にモデルとなる僕の大好きな食堂があるんですよ。そういうのが入っていると、リアルになるんですよね。そういう意識をもって描くと、お話が実際にあるかもということが伝わると僕は信じています。そこで知りもしないレストランの話を書いたり、おじさんはこういうところに行くだろうって勝手に頭で考えてやると、スベってしまう気がしますね。
――リアルさを持たせるために、自分の経験と結び付けていくということですね。
全部がそうである必要はないんですけど、ところどころにそういうものを置いておくと、頭で考えた他のものもそんなにずれてはいかない。地点と地点をつなぐところを想像で書いていくだけですから。地点と地点がリアルであれば、そのあいだもリアルからずれることはそんなにないんじゃないかなと思います。
――板橋さんには「生み苦しみ」のようなものはないのでしょうか?
『BOYS BE…』のときは死ぬかと思いましたよ(笑)。人間はそんなに毎週毎週お話を思いつかないですよ。あのときはげっそりしたときもありました。その前の週刊誌のときも忙しくて。「週刊プレイボーイ」以外に「GORO」とか「ホットドッグ・プレス」もやってたんです。常人の働き量じゃないんですよ。こんな働き方をしていたら死ぬなと思いました。でも書くこと自体は楽しかったんで、体はつらかったんですが書くのがいやだなと思ったことはないですね。
――外出自粛のなか、板橋さんはどのように毎日を過ごしていますか?
僕はレコードをたくさん持っているんですよ。800枚くらいかな。これまでろくに聴いてなかったんですけど、整理しているというのがひとつ。あと、ジェームス・テイラーって70年代から活躍しているシンガーソングライターがいるんですけど、その人がめちゃくちゃなギターを弾くんですよ。それを今コピーしています(笑)。
――そうした日々を楽しむためのコツはあるのでしょうか。
勝手にいつか人に聴かせるっていう前提なんです。なんとなく、壁の向こうにいる誰かに向かって練習して、「ほら、こんなにうまくなった」って。いもしない他人を設定して、そいつに聴かせるために練習する。
――「仮想敵」ではなくて……。
そう。仮想客みたいなもの、「仮想他人」を設定するんですよ。