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「三体」翻訳者・大森望さんインタビュー 「若かったころのSFの、野蛮な魅力に溢れている」

文:ハコオトコ、写真:山田秀隆

最初の印象は、すごく古臭いSF

――まずは未読の人向けに、第1部『三体』ストーリーのおさらいをさせていただければ。文化大革命で父を殺された中国の女性科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、異星人との電波交信を試みる軍の秘密基地にスカウトされることに。計画は失敗に終わったとされましたが、彼女は軍には秘密で宇宙人との交信に成功、彼らの地球侵略の“手引き”をしていました。

 四十数年後の現代、世界中で科学者が相次ぎ自殺する事件が発生。もう一人の主人公であるナノテク研究者の汪淼(ワン・ミャオ)は、原因究明の依頼を受け国際的な学術団体に潜入することに。科学的にあり得ない怪現象に自身も巻き込まれる中、太陽が3つある極めて過酷な異星での文明存続を模索する奇妙なVR ゲーム「三体」に出会います。その内容は、実は葉が交信に成功した宇宙人「三体人」の星を模倣したものであり、彼らを支持する人類勢力が作ったゲームでした。ゲームでない現実の三体文明が生存のため地球侵略を開始し、人類を圧倒する科学力を持った宇宙艦隊が約 450年後に地球に到達する……という状況で第1部が終わります。こんな濃厚な本作、最初に読んだ時はどう思いましたか?

 率直に「今さらこれかよ」と(笑)。すごく古臭いSFだと思いました。異星人との接触、2部では宇宙戦艦が攻めてくるとか……。長くSFを読み続け、今も最先端の作品を求めている人からすれば、とうの昔に卒業したタイプのSFを21 世紀になってもやっている印象でしょうね。今のSFの感覚では、「宇宙人と交信してコミュニケーションが最初から成立する」とかリアリティが無いとも言えます。

 ただ、SF以外のたくさんのエンタメ要素を入れることで、作品として見え方が変わっているとも思います。例えば、(1部序盤で)汪淼が撮影する写真に必ず謎の数字の“カウントダウン”が入るシーン。『リング』(鈴木光司)の呪いのような怪現象に彼が巻き込まれていくのは、強烈なサスペンスです。

 VR ゲーム「三体」の描写も、ゲームの中のことを説明しているようで、実は存在する宇宙人の世界の説明であるという“詐欺的”な書き方なんですよね。(宇宙人が実際に住む)三体世界を地球人に理解させるという体裁で、読者にも(物語の世界観を)分からせる構造になっているのがうまい。ゲーム世界の描写にも気合が入っています。三体人は環境が悪化すると脱水され紙のようになり保存される設定とか、キャストとして始皇帝など歴史上の人物を登場させる試み、馬が燃えながら走ってくるシーン…‥。普通の小説なら「ゲームの描写は飛ばして現実に戻ってくれよ」と思われるかもしれませんが、このパートが終わってしまうのにがっかりした読者も多いくらいです。

――純粋にエンタメとして息もつかせぬ展開ですよね。ただ、冒頭に古臭いと評したこの「大時代的SF」も、特にSF マニアでない一般読者には非常に新鮮で受けている気がします。

 確かにモチーフは古臭いんですが、1940~60年代の“若かったころのSF”を21世紀に再生させた、とも言えます。劉慈欣さんはアイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク、小松左京ら英米や日本のSF作家から大きな影響を受けています。当時の「大きなSF」を扱うことを恐れていない。

 例えば『スター・ウォーズ』も、1977 年の公開当時には既に「今時そんな古臭いSFをやるのか」と言われたものです。「帝国軍に追われるお姫様」といった(当時の感覚でも)古い要素がいっぱい入っていたのにもかかわらず、新しい作品としてもてはやされた。三体も現代SFの洗練がどうこうとは関係なく、「こういうのがSFだよね!」と面白がられているのでしょう。

 今のSFはむしろ、もっと小さな、からめ手のテーマを扱ったり、個人の問題に触れてたりしますよね。テッド・チャンの『息吹』(大森望訳、早川書房)などが代表的です。でも、三体三部作にはそれらとは正反対の、SFの野蛮な魅力が満ち溢れている。1960年代以降、SF小説は文学的洗練や科学的なリアリティを追い求めてきました。結果、現代のSFからは「誰が見ても分かる魅力」が失われてしまったとも言える。そこに劉さんが“ものすごいハッタリ”を持ってきたのですね。

地球防衛のための「面壁計画」とは

――その「ハッタリ」が加速するのが第2部ですね。鍵となるのは三体人迎撃のため人類が発案した「面壁計画」です。

 第1部の最後で、三体文明から太陽系に侵略艦隊が派遣されます。技術力では圧倒的に彼らの方が上。約450年後には艦隊が地球に到達する。さらに彼らは「智子(ソフォン)」というスーパー粒子を既に地球に送り込んでおり、それを通じて人類側の画策するすべての計画が三体人に実況中継されています。加えて智子は高エネルギー加速器などの科学実験を妨害し、地球の基礎科学の発展を抑え込むことに成功しました。科学力で人類は三体文明に及びもつかず、すべての情報が彼らに筒抜けという絶望的な状況から第2部は始まります。

 そこで明らかになるのが、国連が新たに作った組織の考え出した「面壁計画」。智子でものぞくことのできない、地球人の秘密にできる唯一のモノが「脳の中」だったのです。誰かとコミュニケーションしない限り、人類の思考は三体人にばれない。そこで人類全体から選び出された「面壁者(ウォールフェイサー)」の4人に、三体人に対抗するプランを考えてもらう、という計画です。そのためには地球人をいくらだましても、使途を説明せずどんなリソースを使ってもいい。

――各面壁者は、自分の真の意図を同胞の人類にも明かさないまま計画を推進するわけですね。

 面壁者には米国の元国防長官やベネズエラの元大統領、ノーベル賞候補の科学者で元欧州委員長とものすごい有名人が選ばれました。ただ、アジア圏から選ばれた1 人だけが無名な中国人社会学者にして主人公の羅輯(ルオ・ジー)なのです。彼らがどんな作戦を考え出すかがめちゃくちゃ面白い。

――ネーミングセンスも相まって、いかにも“中二病”心がくすぐられる設定ですよね。例えば三体側についた人類勢力が面壁者に対抗し、それぞれの計画の秘密を暴く「破壁人」を任命するシーン。その一人が「彼の面壁者がつとまるのはわしだけだろう」とつぶやきだすとか……。ただここまでの分かりやすいエンタメ展開、本格SFとしてはどうなんでしょう?

 4人の面壁者に対抗する破壁人が「一人一殺」を誓うシーンですね。こんな設定、そもそもふつうの小説ではありえない。いわばマンガや“戦隊もの”みたいな世界です(笑)。良く言えば『デスノート』的な知恵比べですが、やっぱりニチアサ(日曜朝の子ども向けテレビ番組)の“スーパー戦隊”的なノリですよね。他にも、主人公は地球人からは侮られているにもかかわらず、面壁者の中で彼だけが敵サイドから不可解なほどに恐れられ、高評価を得ている設定なのです。物凄い「黄金パターン」ですよね。

――日本人読者からすると、特に第2部はこうした日本サブカルのテイストが濃厚に匂ってくる点もたまらないですね。宇宙艦隊の戦闘シーンでは『銀河英雄伝説』(田中芳樹)を想起しました。作中でも、実際に登場人物が銀英伝の文章を引用していますね。

 銀英伝は海賊版の中国語訳が1990年代後半からネット上に存在していました。中国のSF好きな人々はみんな読んでいて、基礎教養みたいな扱いになっています。そもそも面壁計画自体が、「ヤン・ウェンリー(銀英伝で「魔術師」と称される天才戦略家)は誰か」というストーリーですし。一方で(SF要素として)すごいのが、主人公・羅輯が考え出す「呪文」ですね。真意が明かされたときにはびっくりしましたね。SFを知らない人だって驚きますよ。

3部は“片思いラブストーリー”に!?

――第2部の結末に直結する最大のネタバレなので詳細は伏せますが、長年のSF ファンでも驚愕のアイデアなのですね。第2部はこれできっちりエンディングを迎えた印象もあったのですが、未邦訳である続編の第3部はどうなるのでしょうか?

 実は、この呪文が伏線になって、第3部では羅輯からある若い女性天文学者に主人公が交代します。今回は壮大な“片思いラブストーリー”が基本線です。第2部ラストで回収されていないいろんな伏線が回収されて、啞然呆然の展開が続く。地球規模、宇宙規模の悲劇も起きて、スケールは(第2部までの)千倍、万倍にもなりますね。

――片思いのラブストーリーと、地球・宇宙規模の悲劇がどう交わるのか……。やはり三体はちっとも展開が想像できません。詳細は第3部邦訳を楽しみに待ちたいと思いますが……。ちなみに大森さんは中国語翻訳のチームが出してきた和訳文を、既に出版されていた英語訳も参照しつつSF専門家の見地からとりまとめ、最終稿に仕上げる担当でした。最初に第1部の翻訳依頼が来た時にはどう思いましたか?

 2019年1月に翻訳の話が来ました。自分が三体をやるとは思っていなかったので、意表をつかれましたね。とはいえ、「ただ日本語になっていればいいというものじゃない。ちゃんとSFになるように、SFを分かっている人間がリライトすべき」とずっと主張していましたから、これは自分で責任をとるしかない、と(笑)。

 第1部の時点で既にビッグタイトルだったので、プレッシャーはありました。ただ、既に出ていたケン・リュウ氏の英訳が非常に原文に忠実だったのでそちらも参照しつつ、今まで読んできた英米SFと変わらずすんなり読める翻訳になるよう、努力しました。

――本作は古典物理学の命題「三体問題」や、未来の宇宙船に備え付けられる「非媒質型核融合エンジン」など、あらゆるジャンルの科学用語が敷き詰められたハードSFです。特に英米SFでない中国語作品の翻訳ということで、難航した部分もあったのでは?

 SF部分については万国共通なので、中国語だからという苦労はほとんどなかったですね。英語訳をセカンドオピニオンとして使い、それでも分からない部分はネット翻訳なども駆使し、納得がいくまで調べました。

――英米SFの翻訳に携わってきた大森さんからすれば、本作のSF的な記述はむしろさほど違和感が無かったのですね。逆に苦労した意外な部分はどこですか?

 「山杉恵子」でしたね……。

――「面壁者」の一人である英国人科学者ビル・ハインズの妻で、自身もノーベル賞科学者である日本人女性ですね。第2部で活躍した数少ない日本人です。

 彼女の描写がうまく想像できなかった。例えば、夫と日本人妻である彼女が、京都の竹林に囲まれたお屋敷の庭を散策するシーンとか……。日本人からすると、「日本ドリーム」に見える。

――一見貞淑な彼女のキャラなど、いかにも「海外で美化されたステレオタイプな日本」ですよね。

 最終的には、ある程度納得できる背景事情が明かされるんですが、なかなか訳しにくかったですね。

違和感を抱かせない翻訳作品に

――日本語訳する上で、中国人同士の会話シーンなどは違和感なく邦訳できるのに、日本人の描写で問題が起きるのは面白いですね。ただ今後、三体のヒットを機に中華SFの人気が高まることで、こうした「ちゃんと日本人に伝わる翻訳」の重要性が増す気がします。

 僕らが若い時は、先輩のSF翻訳家に「翻訳者は1万ページ翻訳したら一人前」と言われたものです。でも中国のSFをそんなに訳した人はまだ日本にいませんよね。中国語の本格SF長編をまるまる一冊、日本語に訳した人すらいません。これからどんどん優秀な中国語SF翻訳者が増えてくると思いますが、今は過渡期なので、英訳から翻訳したり、今回のように(大森さんが担った)リライトしたりという手段も使われるでしょうね。

――最後に、これから三体3部作に挑戦する初心者、加えてSFに一家言ある往年のファンの両方へメッセージをお願いします。

 三体は早川書房から出す(本格)SFと言うこともあり、「中国作品って普通のSFと違うよな」という違和感を抱かせない、エンタメとして楽しめる翻訳作品にしたつもりです。

 第1部は出だしが(文革の描写が長く)ちょっとハードかもしれませんが、ある程度行けばサスペンス展開でぐいぐい読ませます。一方で第2部は三部作の中でも一番のエンタメ一直線。騙し合いや恋愛小説、ベタな展開も恐れずに出てきて映画のように楽しめますよ。SFファンの人は文句を言うかもしれませんが……。

 しかし、第3部は山あり谷あり、切ない片思いストーリーを背景にしつつ、SFマニアも文句をつけられないほどの壮大なスケールになっていきます。仮に第2部で文句を言っていた人も、きっと第3部で納得します!