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満腹感が分からない 朝倉かすみ

 来たる八月、六十歳になる。俗にいう還暦である。快適な老年期を迎えるにあたっての習慣の見直しシリーズ第四弾・食習慣改善編の真っ最中である。わたしの決めたルールは三つだ。

 一、「満腹かな?」と一瞬でも感じたら箸を置く。
 二、食べてすぐ横にならない(最低一時間は置くようにする)。
 三、オヤツ(甘いもの)は親指と人差し指で作ったマルの大きさまで。

 たぶん多くの人が、三以外は比較的容易にできそうだと思うのではないかと想像する。ところがどっこい、わたしは一がいちばん難しい。

 なぜなら、わたしは一般的に「満腹」と呼ばれる状態がどの程度のお腹(なか)いっぱいさ加減なのか分からないのだ。

 わたしの「満腹」の測り方は体が動くかどうかなのだった。「もう動けなくなるまで食べること」=「夕食」の血糖値上がり放題、肥満一直線の方程式がいつしか出来上がっていた。

 ただし、これでもちょっとは改善していて、食器を洗ったり歯磨きをしたりする程度の胃の隙間を空けて食事を終えられるようにはなっている。

 その後わたしはベッドに直行し、だらだらと動画鑑賞や読書を楽しんでいるうちに自然とまぶたが重くなり寝入ってしまうのを期待しているのだが、二、三十分も経つと胃にオヤツの入る隙間ができ、今はまだ小さいけれど、食べていくうちに大きくなるナ、いや、大きくしてみせるとの謎のやる気がみなぎり、食べるかどうか分からないけど一応買っておいた「今夜のオヤツ」(以前はしょっぱいもの八、甘いもの二だったが、このところは割合が逆転していて、それとは別枠で自作のあんバターサンドが加わっていた)を大抵全部食べちゃうのだった。

 正真正銘「動けなく」なり、歯磨きガムを嚙(か)んで寝るわけだが、わたしが思うにわたしのお腹の状態は夕食後から一貫して「満腹」以上の感じである。

 というのは、外食の際、わたしが「お腹いっぱい」と口にするときの胃の感覚――電車に乗って家に帰り、着替え洗面歯磨きをおこなえる隙間がある――が標準的「満腹」の感覚に近いのではないかと思うからだ。

 違うだろうか。だとしたら、わたしの朝食兼昼食は大抵ゆで卵二個と野菜で、これは「お腹は張らないけれど空腹ではない」状態を狙ったもので、でないと仕事ができないからなのだが、もしやこの状態が標準的「満腹」なのか。多くの人はよく「もう入らない」と言うが、あれはホントなのか。カッコつけてるだけではないのか。ちなみにわたしは外食から帰ったらカップ麺やオヤツを食べる。それでようやく「もう入らない」となるのだが、これはこれでなんか違うとは思うのだ。=朝日新聞2020年7月11日掲載