『生かさず、殺さず』(朝日新聞出版)という刺激的なタイトルは、主人公の医師がたどり着いた認知症患者の治療の心得だ。医師でもある久坂部羊さんが描く認知症は、ユーモアがありつつ、シビアな現実にはっとさせられる。
舞台はがん、糖尿病など様々な理由で入院しつつも、認知症を併せ持つ患者のために設けられた認知症専門病棟。外科医から転身した主人公は、認知症で病の自覚がない上、高齢で体力も限られる患者にどこまで治療を施すべきか悩んでいる。そこに、かつての同僚が現れ、主人公が外科医のころの、ひた隠しにしてきたあるがん手術の秘密を探り始める。
『老乱』『老父よ、帰れ』と認知症を題材に書いてきた。「認知症は世間の誤解が非常に大きい」と話す。「顔のしわが増えるように、脳のしわは取れる。認知症は自然の恵みなんです。なりかけの人は別ですが、なった人で嘆いたり恐れたりした人を見たことがない」。家族に迷惑をかけてしまった、死ぬのが怖いという感情も味わわずにすむ。在宅診療で多くの認知症の高齢者を診た実感だ。むしろつらいのは、身体は衰えても意識や記憶力は明瞭な場合だという。
認知症は治らない。けれども、世間は医学に過大な期待を続ける。がん治療でも同じだ。医師自身、その呪縛から逃れられない。「同僚を見ると、彼らも医療に対する期待値が非常に高い。私は医療の現場を知りながら一歩離れたところにいるので、肯定的な面も否定的な面も見える」
医療を否定するのではもちろんない。「医療は思ったほど進んでいないかもしれないし、治らないものは治らない。でも医者は頑張っていますよ、と等身大の話を書いています」(興野優平)=朝日新聞2020年7月15日掲載