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半年前のこと 柴崎友香

 昨年は仕事で外国に旅行する機会が五回あり、国内では旭川と鳥取へ行くのに飛行機に乗った。指定された通りに未知の場所へ行くのは楽しいと同時に緊張した。朝早い便だと乗り遅れたらと考えて眠れなくなるので(空港へ向かう電車が事故で止まってしまい危うかったことがある)、外国へ行く前日は空港近くのホテルに泊まったこともあった。

 空港はいつも混雑していて、保安検査場は長蛇の列だった。夏休み時期は小さな空港でも座るところがなかったし、遅延が多い外国の空港では人が溢(あふ)れて混沌(こんとん)としていた。どこでも職員や売店や飲食店の人たちが忙しく動き回っていて、大勢の旅行者たちがお土産のお菓子を抱えていた。

 今年の春、ニュースで人のいない空港の映像を見たとき、同じ場所だとは信じられなかった。混雑しているところしか見たことがなかったのに、常にこれからの便の予定が更新されて刻々と動いていたのに、と、静まりかえった光景に言いようのない衝撃を受けてしまった。

 そこで働いていた人たちや飛行機で移動して仕事をしていた人たちは今どうしているのだろうと思うと、やりきれない。空港だけでなく、訪れたり泊まったりした場所はどうなっているのか、胸が塞がる思いが続いている。

 先月後半くらいから、人に会ったり出かけたりする用事もぽつぽつと増え、仕事先では通常業務に戻っているとも聞く。一時に比べれば人通りもあるが、夜になると静かだ。

 ほんの数か月前までごく当たり前に過ごしていた状態が、うまく思い出せなくなっている。仕事や生活が激変してしまった人が多くいて、今も厳しい困難のまっただ中なのに、表面上は見えにくい。人によって直面していることに差があって、それがちゃんととらえられないまま、なんとなく世の中が状況に慣れてしまいそうなのが怖い。

 見ようとしないと見えてこないことが、たくさんある。=朝日新聞2020年7月15日掲載