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町屋良平さんの心を大きく揺さぶった映画「ピアニスト」 恥を恥として抱えつづけるイザベル・ユペールの気高さ

 十代のころはあまり映画に関心がなかったので、話題になったものや人に教えてもらったものばかり観ていた。とくに二十歳のころに出会った映画好きの友だちがmixiの「好きな映画」欄(いまでいうTwitterやInstagramの自己紹介欄のようなものだと考えてください)に書いていた映画を受動的に観ていた。基本的に自分からなにかを好きになることがない青春時代だった。

 そのなかで観た映画のひとつがミヒャエル・ハネケ監督の「ピアニスト」である。ハネケが撮るフランスの街並みを眺めているだけでも楽しいのだが、エリカ・コユットを演じるイザベル・ユペールの存在感が当時の私の心を大きく揺さぶった。
 ピアノ教師であるエリカは異常な母親、倒錯的な性的嗜好を持て余して生きている。その持て余した感情の行き着く先は孤独である。エリカの孤独は観る者すべてをひきつけ、けして他人事と思わせないほどの切迫感をもって描かれる。教え子であるワルターにその孤独と愛をぶつけ、破れた後には恥の感情が露になる。

 普段の生活でも、建前ではなくわれわれは周囲の人間に「なにも恥ずかしいことなんてないんだよ」と言う機会はあるだろう。なにかその人の隠している秘密を知ったときなどに。しかし恥の感情とはそういう類のものではなく、他人からどう言われようがどのように見られようがそれ以前に恥ずかしいのであり、いわば恥は純粋に自分が自分でいることと重く関係している。告白して軽くなる恥もあるだろうし、また告白せざるを得ないほど追い詰められた恥を抱える身体もあるだろう。しかしこの映画で描かれているのは恥を恥として抱えつづける気高さでもある。
 共有しなくてもいい恥もあるし、恥を隠すこと自体は恥ではないと思っていたい。恥を恥と公には認めない、ある種背反した気分を堅持する、こうした経験が人間を成熟させるのではないかと個人的には思う。大人になるということは企業に就職したり結婚して子をもうけたりだとかいう制度とまったく関係がない。既存の制度に寄せていき、立派な誰かに自分を似せていくことで大人になるという選択もあるが、それがどうしてもできない人もいる。エリカのように何かを奪われつづけて歳をとってしまった人間はどうすればいいのだろう。他者にどう思われようと自分なりの成熟の方法を探し続けなければならない。

 だから、「あなたのそれは恥ずかしいけど、恥ずかしいのは否定しないし、ひとはみなそのように恥ずかしいよ」と言いたいし、それを理解しない人とはできるだけ距離をとるべきだと思う。映画を見ている自分としてはエリカに「なにも恥ずかしいことなんてない」と応援するけど、エリカを演じるイザベル・ユペールの身体は全身で恥を表現している。それを否定することなどできない。
 終劇でエリカは自らに痛みを課して、その場から逃げ去る。それでいい!と叫ぶように見つめていた二十歳の自分のことが忘れられない。そうだ、時には恥から逃げつづけて、どこまでも遠くへいってしまおう。