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クローゼットの迷子たち 澤田瞳子

 世に苦手なことは数多いが、その一つが服の整理だ。そもそも服を選ぶのが苦手な上、古い品を処分するタイミングがわからない。サイズが合わなくなったのなら諦めるが、幸か不幸か体型に変化がなく、大学当時の服がそのまま入る。

 古い服を捨てなければクローゼットは空かず、当然、新品購入の余地はない。さすがにこれではまずかろうと、先日、古い服の処分を試みた。まず悩んだのは、高校の体育祭の際、毎年、クラスで作った応援Tシャツ三枚だ。皆で図案を考案し、部屋着として使っていた時期もある品。真っ先に捨てるべきなのは確実だが、少々思い出が強すぎる。しばらく悩んだ末、「やっぱり捨てられない! 片付けなんて無理!」と叫んで、すべてを引き出しに戻した数日後、大学の同期とのオンライン飲み会があった。メンバーの中には高校からの同級生や、出身校は違うが我が母校の教員となった人もいる。ふと思い立って応援Tシャツについて触れると、同級生が「あっ、私、まだ着てるよ。寝間着にぴったり」と言い出した。

 「あのシャツ、そんなにずっと着るものなのか……」

 と呻(うめ)いたのは、我らが母校で教師をしている男性。聞けば彼は去年、担任クラスのTシャツの図案に、自分の似顔絵を使われたという。

 自分たちが何を思って三枚の柄を選んだのかは、正直、まったく覚えていない。しかしそれでも、あのシャツが思い出深いのは事実。そして応援Tシャツ以外の服も、私が忘れてしまっているだけで、何らかの理由があって我が家に来たのだろう。ならばいま手元にある服はいずれも、もはや誰からも忘れ去られた記憶の記念碑とも言える。

 一度そう考えると、いつから我が家にあるのかわからない古い服たちが、帰るべき家を失った可哀想な迷子のように見えて来る。そんな彼らを捨てるのは、あまりにしのびない。かくして私のクローゼットの整理はまたも先延ばしされるのである。=朝日新聞2020年9月2日掲載