先人たちのかけがえのない遺産であり、教養の礎となってきた「古典」に、かつてない厳しい視線が向けられている。逆境の今こそ、その魅力を再発見する試みや作品に注目したい。
古典学習は本当に必要なのか――。高校国語の科目再編に端を発し、そんな論争が熱気を帯びている。「必修科目から古文・漢文はなくすべきだ」という急進的な否定論も聞かれるなかで、古典教育を見つめ直し、改めてその意義を世に示そうとする動きが出ている。
「GDPや収入増加につながらないので、選択科目でいい」「現代語訳で十分だ」「年功序列や男女差別の価値観が刷り込まれる」――そんな否定派の理系の論者を迎えて、昨年、都内で公開シンポジウムが開かれた。主催した勝又基・明星大教授(日本近世文学・文化)は「古典を軽視する理系や財界、行政の人に、守る側の一方的な論理を振りかざしても届かない。『身内の怪気炎』に留まらない議論をと考えた」と狙いを語る。やりとりは『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』(文学通信)という本になった。
論争の背景には、2022年度から実施される高校の学習指導要領への関心がある。国語の科目再編では、選択科目の「現代文」が「論理国語」と「文学国語」に分かれ、小説などが軽視されないかと注目されたが、必修科目の「国語総合」も「現代の国語」と「言語文化」となり、古文・漢文の要素が減ると懸念されている。
日本学術会議は今年6月、高校国語教育への提言をまとめ、実社会と言語文化を切り離し、現代人と古典を分断しかねないとの危惧を示した。江戸時代以前と近現代の垣根を取り払い、古典芸能の映像教材を活用した古典教育などを提案している。勝又さんも、古典学習の重要性と、改革の必要性をともに強調する。
「古典離れ」に直面する教育現場にも議論の輪が広がる。国際基督教大学高校(東京都)では今年6月、オンライン公開シンポジウムがあった。同校の国語科教諭の仲島ひとみさんによると、シンポは「当事者である高校生の意見を聞いてほしい」という生徒の発案。否定・肯定派の主張を整理したうえで、古典を読む力は「人間らしく生きるための基礎的な知識や学力」の一つであり、国際社会における日本独自の「文化的アイデンティティー、知的遺産」だとする専門家も発言した。生徒が「私たちは古典を学びたい」「高校の授業は変わるべきだ」と訴えたシンポの模様は11月、『高校に古典は本当に必要なのか』(文学通信)と題して書籍化される予定だ。
現在の古典教育は、受験対策のため文法の暗記や源氏物語などの平安文学の部分的な読解に傾きがちだ。仲島さんのクラスは、古文を全文声に出して読む「音読チャレンジ」を夏休みの課題にした。全文を読むと、例えば方丈記なら30分、土佐日記45分、古今和歌集は約4時間かかるが、好きな作品を合計1時間をめどに音読した上で感想を提出するよう求めた。「古典に触れる機会を増やし、生徒の関心を高めて、楽しみながら学ぶ試み」だという。ただ、「定番教材は授業法の蓄積などの利点もある。新要領下で古典教育が残っている間に、どこをどう変えたらいいかを模索していきたい」と話す。(大内悟史)=朝日新聞2020年9月30日掲載