「大学という理念」 教師・学生の共同体と「場」の未来 朝日新聞書評から
ISBN: 9784130530927
発売⽇: 2020/09/29
サイズ: 19cm/266,4p
大学という理念 絶望のその先へ [著]吉見俊哉
本書は、著者が長年取り組んできた、日本における大学の諸問題に関する論考を集めたものである。その題が「大学の理念」ではなく、「大学という理念」であることに注意すべきだろう。つまり、大学がそれ自体、理念なのだ。たとえば、西欧では、大学は、封建社会の「間」にあった自由都市において、封建諸勢力に対抗する教師と学生の協同組合として生まれた。つまり、大学(ウニベルシタス)は「組合」という意味である。
一方日本では、古来大学は、外国の先進的な学問や技術を教え、国家を運営するエリートを育成する性格のものだった。日本の大学体制は、当初は唐の学問(儒学)を規範にしていたが、薩長新政府のもとでは国学に傾き、明治維新以降は欧州各国を、第二次世界大戦後には米国を規範とし、「複雑骨折」ともいうべき有り様となった。例外的に、幕末に福沢諭吉などによって作られた「塾」は、教師と学生の共同体として、ウニベルシタスに近いものであった。
興味深いのは、コロナ危機の下で最近生じた問題である。この間大学では、オンラインでの講義が普通となり、これまでなかったような光景が見られるようになった。これはコロナ危機が去っても、今後も続くだろう。これはもともと、情報通信革命によって生じると想定されていたことだから。今後、大学は物理的な場所として存在するものではなくなるかもしれない。
しかし、著者によれば、この変化は未曽有の事態とはいえない。これに似た変化が、近世ヨーロッパの大学にもあった。それは、グーテンベルクの印刷革命によってもたらされた。それによって、それまで一部の人以外に読めなかった本が、多くの人々の手に入るようになった。以後、大学は知の中心ではなくなったのである。中心は大学の教授ではなく、独立した著作家となった。それ以後に、近代国家と産業資本の成立とともに、再び大学が中心となった。しかし、それが永続するはずがない。今日、それが崩壊する兆候がさまざまな形で出てきている。
そもそも、日本の大学は「入試」と「就職」にはさまれた「通過儀礼」という消極的な役割しか与えられてこなかった。今や、大学の教員も、それに順応する存在となってしまった。では、大学を積極的な学びの場所とするために、どうすればよいか。本書はそれを問うものだが、具体的な例をいうと、学生の専攻分野を複数にする「ダブルメジャー」、生涯に再度大学で学び、中年以降にも新しいキャリアを築けるようにする「リカレント教育」が提案されている。
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よしみ・しゅんや 1957年生まれ。東京大教授。専門は社会学。著書に『博覧会の政治学』『大学とは何か』『「文系学部廃止」の衝撃』『五輪と戦後』、共編著に『越境する知』『東大という思想』など。