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いま求められる「生き延びる力」 教育評論家・尾木直樹さん@東京・田園調布学園中等部・高等部

文:安里麻理子 写真:永友ヒロミ

コロナが変えた中高生の意識

 「フェイスシールドは髪が乱れるから困るのよ~」

 演台のアクリルボード越しに、そんな第一声で会場を沸かせた教育評論家の尾木直樹さん。新型コロナウィルスに見舞われた2020年の11月、これまでと様相の一変した授業が始まった。
 会場の講堂には、中高の図書委員50人と生徒128人、そして500人を超える聴講申し込みがあった保護者の一部が着席。全員マスク着用で、ソーシャルディスタンスを保つため、収容可能人数の半数ほどに絞っての開催となった。入りきれなかった保護者は別途用意された3会場でライブ中継を見守る。

尾木さんの熱いトークに聴き入る生徒たち

 「今年はコロナのせいで、世界で15億人の子どもたちが休校などの憂き目に会いました」と、尾木さん。子どもだけではない。教育現場も翻弄された。
これまでの教育は「密」ありきで、いかに教師と生徒が、また生徒同士が距離を縮めるかに注力されていた。「そうやって積み重ねられてきた実績が、いきなり足払いされてしまったの」。口調こそ「尾木ママ」らしい柔らかさだが、内容は教育評論家の本領発揮だ。
 「でも、絶望しないで。人類は過去にもペストなどのパンデミックを経験しています」。そこから何を学び、未来に託したか。参考にと本を紹介した。
 謎の感染症をテーマにしたSF小説『復活の日』(小松左京著、角川文庫)、歴史を振り返る対談集『世界史に学ぶコロナ時代を生きる知恵』(出口治明・鹿島茂著、文春ブックレット)、世界の知識人へのインタビュー集『コロナ後の世界』(大野和基編、文春新書)を挙げ、「どれも示唆に富んでいて、afterコロナ、つまりワクチンが開発され、普及した後の世の中を考える機会にもなる」。
 尾木さんが事前に行ったアンケートの回答にも、「コロナのために、当たり前だった事が当たり前ではなくなった」といった日常生活への不安のほか、「進路が決められない」「3月に高校を卒業してすぐ大学生になるのは早いのでは」「日本の教育を変えたい」という意見が。先の見えない不安が、中高生の意識にも変化をもたらしたようだ。

大学への道のりはひとつじゃない

 回答の多くに進路への迷いが寄せられていたことから、尾木さんは自身の苦い思い出を吐露した。「尾木さんはよっぽど教師になりたかったんですね、とか言われるけれど、全然違う。ジャーナリスト志望だったし、学校の先生には不信感いっぱいだった」
 決定打は高校生の時。体罰をする教師に抗議したら単位不足にされ、1年生を2回やるはめに。年下の同級生になじめず、「自分は異質だ」と感じていた。「放課後は図書館に直行して閉館まで時間つぶし。精神的な引きこもり状態だった」
 そんな尾木さんに、お母さんは教職に就くことを勧めた。「体罰や引きこもりを経験しているからこそ、直樹はいい先生になる」と。「母ちゃん何言ってんの、と思ったけれど、ハッとしました。私、マイノリティの子の気持ちがわかるって」。以来、子どもたちの声なき声に耳を傾け続け、今がある。

 大学についても、「OECD(経済協力開発機構)の調査では、日本の大学1年生の平均年齢は18.3歳。加盟国32カ国の平均21.8歳の中で最も早い」。海外では、一度社会に出たり、ボランティア活動をしたりして、学びたいことを見つけてから進路を決めるケースも多いとか。「18歳で大学生になる国なんてグローバルじゃないのよ」
 さらに、「キャンパスを持たない大学もあります」と、アメリカの私立ミネルバ大学の例を挙げた。授業はすべてオンライン、世界7都市にある寮で暮らしながら学生生活を送る。
 相川萌心(もえみ)さん(高1)は、「触発されました! 人生は1度しかない、だから、日本から出て世界を見てみたい」。金(こん)志帆さん(中2)は、「日本と外国の違いを改めて実感。看護師志望ですが、教育についてとても興味が湧きました」。

アクリルボード越しにあいさつする尾木直樹さん

協働、バランス、客観視の力を

 また、アンケートには、「自分は文系志望だけれど、親が就職に有利だからと理系を勧める」という相談もあった。コロナ禍で休業や失業に追い込まれる人が急増し、2030年には日本の労働人口の49%がAI(人工知能)やロボットに代替されるという試算もある。理系のほうが、と思う気持ちは分からなくない。
 「でもね、名門ハーバード大学の医学部は、文学や絵画鑑賞を必修科目にしたのよ。理系でありながら文系の力も重視しているの」。臨床で欠かせないコミュニケーション力や洞察力の育成には、文系の能力が欠かせないということか。「膨大な暗記やそこから導き出されるアウトプットはAIに任せればいい。人間の役割はAIにできないこと、その使い方を考えることじゃないかしら」。
 では、どうすれば人間にしかできない力を伸ばせるのか。
 尾木さんは、「エデュケーション2030」というOECDが取り組んでいる教育プロジェクトについて言及した。これは2015年に始まった、2030年までに子どもたちに求められるスキルや行動特性を調査・研究する事業だ。「生き延びる力」の育成を提唱し、日本の学習指導要領にも影響を及ぼしている。

 そのために必要とされる3つの能力、「Creating new value」「Reconciling tensions & dilemmas」「Taking responsibility」を尾木さんはそれぞれ、「協働して新しい価値を創造する力」「危機的状況に際してもバランスがとれる力」「自己を客観視し説明責任を負える力」と解釈し、「アンケートにも、自粛生活で自分を見つめ直す機会が増えた、という声がたくさんありました。これは、客観視の力を養う時間が増えたということ。そうやってコロナというピンチをチャンスに生かして!」。
 芥川舞浬(まり)さん(高1)は、「内容の濃い授業でした。本を通して教育に携わる図書館司書になりたいので、尾木さんが実践されてきた教育についても知りたくなりました」。
 生徒たちの意識の高さに尾木さんも刺激されたようだ。終了間際、「どうしよう、話し足りない!」と焦る。一人ひとりの未来を思うと居ても立っても居られない様子に、マスクの下の口元がいっせいにほころんだ。