コロナ禍が広がり始めた昨年3月、作家の乗代(のりしろ)雄介さんは利根川沿いを歩く6日間の旅に出た。芥川賞の候補になった新刊『旅する練習』(講談社)は、その体験から生まれた小説だ。
物語の主人公は、小説家の「私」。サッカーが好きな姪(めい)の亜美と一緒に、千葉の手賀沼から鹿島アントラーズの本拠地がある茨城まで、利根川沿いを歩く旅に出る。新型コロナウイルスの感染が広がるなか、変わることのない流れにはカワウやコブハクチョウといった鳥たちが姿を見せる。
選考会では惜しくも次点となったが、選考委員には「一見平和に見える散歩の記録が、文学作品に昇華されうると。非常にいまの時代を象徴している」と評価された。とはいえ、歩いて風景を書く、という行為はここ数年、一人で黙々と続けてきたことだった。
「同じところを繰り返し歩くと、過去に生きていた人々の暮らしや自分の行為が、場所に刻まれているような感覚になる。それを小説で表現したかった」
名付けて「風景描写の練習」。実際に書いた現地の景色を、日付や時間もそのまま小説のなかへと入れ込んだ。作中の「私」が立ち止まって書くあいだ、亜美はリフティングの練習をして待つ。リフティングも、サッカー好きの自身が現地でしていたことだった。
中学生で小説を書き始め、塾講師をしていた2015年に群像新人文学賞を受けデビュー。芥川賞の候補入りは2度目だった。小説を書くことは、「練習」に似ているという。
「練習は終わりがない行為なので、結論が出ることはない。ずっとやろうと思っています」(山崎聡)=朝日新聞2021年2月10日掲載