娘のために書き下ろした卒園ソング
―― 1974年から13年間、「おかあさんといっしょ」でたいそうのおにいさんを務めていた瀬戸口清文さんですが、あゆみさんにとってはどんなお父さまでしたか。
私が生まれた頃、父はすでに番組を卒業していたので、たいそうのおにいさんとしての現役時代は知りません。でもその後も、子どものための歌や振付をたくさん作ったり、保育士さん向けの講習や講演活動で全国を回ったりと、いつも忙しくしていました。家にいないことも多かったので、私にとっては誇らしいけれど少し近寄りがたい存在という感じでしたね。
―― 絵本を作ろうと思ったきっかけは?
2018年の3月に父が亡くなったのですが、その後すぐに家族の中で、父が残した作品を伝え継いでいきたい、という意見が上がってきました。私は絵本ナビという会社に勤めながら、“絵本のおはなしお姉さん”としても活動してきたので、私が何かできるとしたら絵本だろうと思って。絵本にすれば、自分の活動の中で歌ったり読み聞かせたりして広めていける、と考えたんです。
数ある作品の中から「そしておめでとう」を選んだ理由は、何より思い入れのある曲だから。この曲は1997年に手話ソングとして発表されました。当時のCDでは、「おかあさんといっしょ」5代目うたのおにいさんの林アキラさんが編曲を担当され、堀江美都子さんが歌ってくださっています。
でもじつはこの曲、卒園を間近に控えた私のために、父が書き下ろしてくれたものだったんです。私が通っていた幼稚園にCDを差し上げたようで、卒園式で退場のときに流れました。「この歌は、そら組の瀬戸口あゆみちゃんのお父さま、瀬戸口清文さんが作ってくれました」というアナウンスが流れて、照れくささと誇らしさを感じたのをよく覚えています。
当時は、「あゆみのために作った歌だよ」と言われても「へぇ」くらいにしか思っていなかったんですが、大人になって改めて聴いてみると、すごくいい曲だなと思ったんですね。卒園ソングとしてもっと広めていきたい、歌ってもらいたい……そんな気持ちから、「そしておめでとう」を絵本にしようと決めました。
「みんなのための卒園絵本」を目指して
―― ご家族の賛同を得て絵本制作に動き出したわけですが、まず何から始めたのでしょうか。
はじめに「ニジノ絵本屋」の代表いしいあやさんに相談しました。「ニジノ絵本屋」は東京都目黒区にある絵本専門店で、絵本の企画編集や出版、音楽や食とコラボしたイベントなども手がけています。いしいあやさんとは、以前から絵本のパフォーマンス仲間として仲良くしていて、いつか一緒に絵本を作りたいとずっと思っていたんです。
絵は最初から、えがしらみちこさんにお願いしたいと考えていました。『あめふりさんぽ』などの「おさんぽ」シリーズがすごく好きで、えがしらさんの絵なら「そしておめでとう」の詩にもぴったりだと思ったからです。
えがしらさんはすでに人気絵本作家さんだったので、引き受けてもらえるかドキドキだったのですが、2018年の夏にいしいさんが熊本でえがしらさんとご一緒する機会があって、そのときにお願いして快諾いただきました。あとから聞いたんですが、作者がすでに亡くなっていて、その家族からの依頼を受けて描くというのはえがしらさんも初めてで、さらに独立系出版社との仕事ということもあって、少し不安もあったのだとか。引き受けていただけて本当にうれしかったです。
―― その後の制作は順調に進んだのでしょうか。
いやそれが、全然順調ではなくて……えがしらさんから初回ラフが上がってくる頃に、編集者として入ってくれていたいしいさんが入院してしまったんです。しかも、入院が思いのほか長引いてしまって……。このときは、この企画はもうこれで終わりか、と思いましたね。でもそんなときに、フリー編集者の山縣彩さんが協力してくれることになったんです。山縣さんは過去にもえがしらさんの絵本を担当されていて、私たちとえがしらさんをつないでくださった方でもあるので、とても助かりました。
もともと私たち家族による企画ということもあって、はじめのラフでは、家族の一日を描いたドキュメンタリー風の展開になっていたんですが、これは大幅に改変しました。「そしておめでとう」は、娘である私のために作ってくれた歌ですが、父がずっと大事にしてきた子どもたちに向けられた歌でもあるので、もっとたくさんの子どもたちの登場する絵本にしたいと思ったんです。
そこで、運動会やおゆうぎ会といった園の行事や、普段の園での様子などを中心にした展開に変えました。たくさんの園児を描くことになって、えがしらさんは大変だったはずですが、ちょうど娘さんの卒園のタイミングと重なっていたこともあって、園児ひとりひとりの表情を生き生きと、丁寧に描いてくださいました。おかげで、みんなのための卒園絵本になったのではないかと思います。
家族の木「ミモザ」を絵本のメインビジュアルに
―― 表紙の園児たちを取り囲むようにして描かれたミモザの花がとてもきれいで、幸せな気持ちになりますね。
卒園がテーマなら、定番は桜ですよね。この絵本の中でも、卒園式のシーンには桜が描かれているんですが、表紙を桜ではなくミモザにしたのは、ミモザが瀬戸口家のシンボルツリーだから。ミモザが好きな母のために父が庭に植えて、ずっと大切にしてきたんです。今も3月になると満開の花を咲かせます。ちょうど卒園の時期とも重なるので、この絵本のメインビジュアルとして取り入れました。
―― 「げんき ゆうき えがお ありがとう そして おめでとう」というフレーズが印象的です。大人になって改めてこの歌詞を見て、どんな風に感じましたか。
こんな風に見守ってもらっていたんだな、と今さらながら感じています。子どものうちって、そんなこと知らずに過ごしているけれど、自分の気づかないところで親が大事に命を守ってくれていて、そのおかげで成長してこれたんだなと。私も昨年3月に娘が生まれてお母さんになったのですが、本当に毎日毎日、今日も元気に過ごしてくれてありがとう、という気持ちになります。
娘はこの春から保育園に入ります。1歳から卒園までは長いので、まだあまり実感は湧きませんが、これから卒園までの日々を絵本と照らし合わせながら経験していけると思うと、すごく楽しみですね。
―― 『そしておめでとう』を今後どのように広めていきたいですか。
出版がコロナ禍と重なってしまったので、今年はちょっと難しいと思いますが、「おむすびひろば」として全国の幼稚園や保育園を巡って、直接子どもたちに「おめでとう」を伝えるための絵本として使っていきたいですね。
私はもともと一人で読み聞かせの活動をしていたんですが、2016年に金子しんぺいと、絵本とパントマイムのパフォーマンスユニット「おむすびひろば」を結成しました。父も何度か見に来てくれたんですが、初めてのお披露目会のあと、「Technique/Mind =Professional」と書かれたメモを手渡して、こんなアドバイスをくれました。
「テクニックだけあってもプロにはなれない。心があってこそということを、忘れるなよ。今日はふたりの“心”が感じられてよかった」
この言葉は、今も私の活動の軸となっています。念願かなってできあがった『そしておめでとう』を、今度は私が心を込めて広めていきたい。いつか卒園の定番ソングとして歌われるようになったらうれしいです。