「白痴」や「堕落論」などで知られる作家坂口安吾(1906~55)が、戦前に書いたとみられる未発表の小説の一部が見つかった。戦後の野心作「花妖」の原型と考えられる作品で、人気作家になる以前の安吾を知る手がかりになりそうだ。
原稿は、400字詰めの原稿用紙に41枚。構想を固めた後に、清書されたものとみられる。ただ、未完に終わっており、何らかの事情で中断されたようだ。
昨年10月、業者向けの古書市に出品されていた生原稿を、東京・神保町のけやき書店店主・佐古田亮介さんが見つけた。
佐古田さんは、安吾をはじめ無頼派の作品に詳しく、過去に「白痴」の生原稿を扱った経験もある。50年近く業界にいるが、「未発表の原稿がこれだけまとまって出るのは記憶にない」という。
その知らせを受けたのが、全集の編集に関わった文芸評論家の七北数人さんと、花園大学の浅子逸男教授(近代文学)。2人は、文字や内容、人物設定などからみて真筆と判断。戦前の安吾は、原稿や下書きの保管に無頓着で、ほとんど残っていないという。浅子教授は「すごいものにぶつかった。驚くというより、うろたえました」。
浅子教授によると、内容や原稿用紙の種類などから、書かれたのは1938年秋~41年秋だとみられる。安吾は同人誌を中心に作品を発表していたが、人気作家になる以前だ。
主人公は、ある町の名士の家で書生をしていた男。その家の「美貌(びぼう)をうたわれた姉妹」の愚かな妹が聡明(そうめい)な姉を撃ち殺した事件について、見聞きしたてんまつをたどっていく。姉妹は同じ金持ちの男を好きになるが、男は妹を選び、二人して姉をからかう。姉は一見落ち着いた様子だったが、ひそかに復讐(ふくしゅう)心を燃やしていた。姉が周囲の人物を巻き込みながら着々と計画を実行に移し、二人の結婚生活が破局していくところで、原稿は途切れている。
登場人物の名前や関係性などが、47年に安吾が新聞連載とした「花妖」と共通している。原稿にはタイトルがついていなかったが、七北さんと浅子教授が作中の言葉から仮に「残酷な遊戯」と名付けた。
作品では、欲望に駆られた人間関係が展開される。浅子教授は「俗悪で、いかにも安吾らしい」と指摘。「人間自体が俗悪なもの」と考える安吾は、「日本文化私観」などのエッセーや「不連続殺人事件」などの探偵小説でも「俗悪さ」をモチーフにしていく。浅子教授は、「いわば修業期間中の作品で、安吾の成長過程を知ることができる」と語る。
原稿は春陽堂書店から、「花妖」などと合わせ『残酷な遊戯・花妖』として刊行された。(滝沢文那)=朝日新聞2021年3月24日掲載