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「約束の地 大統領回顧録Ⅰ」 人間の魅力と分断の重苦しさと 朝日新聞書評から

評者: 犬塚元 / 朝⽇新聞掲載:2021年04月03日
約束の地 上 (大統領回顧録) 著者:バラク・オバマ 出版社:集英社 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784087861334
発売⽇: 2021/02/16
サイズ: 20cm/519p 図版16p

約束の地 下 (大統領回顧録) 著者:バラク・オバマ 出版社:集英社 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784087861341
発売⽇: 2021/02/16
サイズ: 20cm/538p 図版16p

約束の地 大統領回顧録Ⅰ (上・下) [著]バラク・オバマ

 政治家の回顧録は、自己弁護や自慢ばかりでつまらない。リベラルなオバマは、現実離れした理想ばかり語っているのだろう。こうした予断は見事に裏切られる。
 小説のように五感を刺激する描写や、葛藤や失敗を自省する筆致。こうした魅力ゆえ、退屈とはほど遠い。ユーモアもある。訳文はこなれており、印象的な写真も多い。しかも前半は、痛快な成長と成功の物語だ。さまざまな失敗や挫折、あるいは妻ミシェルとの行き違いも経験しながら、オバマは一気に大統領まで駆け上がる。肌の黒い自分が大統領になれば、マイノリティーの子どもたちの世界観を変えられるとの思いからだ。
 ところが、一転して後半は重苦しい。大統領となったオバマは、金融危機やイラク・アフガン戦争といった積み残しの案件や、油田事故のような予期せぬ事件の対応に追われる。困難や障害は多く、なにより共和党は最初から一切の対話や妥協を拒む。これは、分断の時代の同時代史だ。
 アメリカ政治の研究者たちはオバマとトランプの共通性を指摘している。いずれも、2年目の中間選挙で敗れて議会で少数派となり、強引な政権運営を余儀なくされたからだ。今回のこの回顧録Ⅰが扱うのは任期8年のうち、比較的うまく政権運営できた最初の2年半だけで、クライマックスはオバマケアの成立。ビン・ラディン暗殺作戦が物語を締める。こうした構成でも重苦しさが漂うのは、憎しみを煽(あお)るペイリンやトランプの存在感が大きくなるからだ。
 興味深いのは、現実主義者というオバマの自画像だ。「理想ではなく現実にできることをする」のが「政治の本質」だという。それゆえ教条的なリベラル派には厳しい批判が向かう。妥協で不完全になった法案でも、成果がないよりましだから。しかし、ただ現実に流されるだけでもない。分断を架橋して、何度も裏切られてきたアメリカの理念や約束を実現したい。本書には、この思いが一貫している。自由や平等という理念をきちんと実現する気があるのか、実現できると本当に信じているか。冒頭の問いかけは重い。
 人物描写も印象的だ。スピーチでも質疑応答でも原稿を読むだけの退屈な胡錦濤。シカゴのボスたちのように狭い世界で取引するだけのプーチン。こうした辛辣(しんらつ)な評価は、オバマがめざした理想像とは対極にあるがゆえだろう。この回顧録が生き生きと描くのは、人びとに語りかける能力、知性や自己省察、人間としての魅力に優れたリーダーの姿だ。実際のオバマをどう評価するかは別にしても、こうした政治家像は、健全な民主政治では左右を問わず現実の政治家を吟味する基準になろう。
    ◇
Barack Obama 1961年生まれ。弁護士や上院議員を経て2009年1月から8年間、第44代アメリカ大統領。「核なき世界」を掲げ、09年にノーベル平和賞を受賞。著書に『マイ・ドリーム』『合衆国再生』。