手に汗握って読んだ金子堅太郎の陰の働き
幕末から明治にかけての歴史小説をよく読みます。国を思い命をかけて困難と戦う人々の姿に胸打たれるのです。吉村昭の『ポーツマスの旗』は、日露戦争の講和条約がいかなる経緯で結ばれたかを丹念に描いています。本筋は日本の外相・小村寿太郎とロシアの政治家・ウィッテとの駆け引きですが、印象深かったのは、金子堅太郎の働きです。若い頃に滞米経験があり、セオドア・ルーズベルト大統領と面識があった金子は、伊藤博文から「戦争が続けば勝つ見込みはない。アメリカの世論を親日に傾け、ルーズベルトに日本に有利な和平斡旋(あっせん)を促してほしい」と頼まれ、この難しい使命に挑みます。ルーズベルトは金子の肩を抱いて大統領室に招き入れたそうですが、一方でロシアの同盟国のフランスやロシアと親しいドイツとも通じていて、ある時、日本に不利になる内容が記されたと疑われるドイツ皇帝の親書を受け取る。裏ルートでこれを知った金子は「親書は受け取っていない」と言い張るルーズベルトに切々と日本の立場を訴え、親書の極秘内容を明かしてもらい……。こうしたやり取りを現場に居合わせたかのような緊迫感で伝えてくれるのが吉村作品の魅力。他にもたくさん読んでいます。日露関係の作品では『大黒屋光太夫』(新潮文庫)も秀作だと思います。
小説以外で読み応えがあった幕末・明治ものは、英国外交官アーネスト・サトウの記録。『一外交官の見た明治維新』は、若きサトウが生麦事件や薩英戦争などに次々と遭遇し、日英交渉を通じて日本の要人たちと出会っていく様子を記しています。幕府側にも倒幕側にも寄らない第三者的な視点が貴重だと思いますし、旅好きなサトウの目を通して当時の日本の風景や庶民の営みをうかがい知ることもできました。
『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄』は、サトウの3度の来日すべてを記した大作で、彼と同時期に来日したウィリアム・ウィリス医師の資料なども交えて幕末を俯瞰(ふかん)しています。サトウが高く評価したのは、西郷隆盛。小松帯刀や後藤象二郎にも好印象を持ったようです。後藤のことはサトウの上司の外交官ミットフォードも評価していて、29歳の後藤が10歳年上のハリー・パークス公使に毅然(きぜん)として自説を主張し、短気なパークスを「癇癪(かんしゃく)を起こすと思慮分別を失いますよ」と諫(いさ)めてショボンとさせたと回顧しています。ミットフォード曰(いわ)く完全にパークスの負けであったと。なお、ミットフォードの著書では『英国外交官の見た幕末維新』(講談社学術文庫)がお薦めです。『遠い崖〜』13巻では、サトウとウィリスが西南戦争勃発の6日前に西郷と対面した様子が書かれています。西郷は約20名の護衛に囲まれ、半ば監視された状態だったようで、反乱軍における西郷の立ち位置についても、サトウの第三者的視点を通して察することができます。この大作ではサトウの内縁の日本の家族にも触れています。帰国したサトウを、後に植物学者となる次男の武田久吉が訪ね、親子で登山や植物採集を楽しんだ話など、興味深く読みました。
宇宙の本を読むと悩みを忘れて前向きに
私は歴史の他に科学、特に宇宙が好きで、カール・セーガンの名著『コスモス』に影響を受けました。地球や生命の起源、宇宙科学や惑星探査の歴史など幅広いテーマを扱っており、学問分野も多岐にわたります。著者は天文学者ですが、文章は叙情的でロマンにあふれ、難しい理論もわかりやすく紐解(ひもと)いています。2002年に小柴昌俊先生がニュートリノの観測成功でノーベル賞を受賞した時は、本書を読み返して興奮を新たにしました。「太陽を1秒間見つめると、10億個ものニュートリノが眼球を通過する。それらは、光子のように網膜のところで止まったりはしない。それらは、何ものにも邪魔されず、後頭部を突き抜けてゆく」。なるほど、こういうものをカミオカンデでキャッチしたのかと。
宇宙の解明は日進月歩。その知識のアップデートも読書の楽しみです。最近は『宇宙に「終わり」はあるのか 最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで』を読みました。本書によると、宇宙の終焉(しゅうえん)は10の100乗年後で、10の100乗年を365日に置き換えると、ビッグバンから現在に至る138億年は、大晦日(みそか)どころか、元日の午前0時0分0・000…004秒頃だそう。宇宙の寿命に対して138億年は瞬(まばた)きのような一瞬だということです。10の100乗年の宇宙に比べれば、自分なんてちっぽけなもの。そう考えると、悩みがあっても大したことはないと前向きになれる。宇宙の本にはそんな効用もある気がします。
私の趣味は、読書ともう一つ、本に出てきた場所を旅すること。史跡を訪ねたり、共感した人物の墓参りをしたり。ご子孫が墓前に花を手向けているところに出くわし、言葉を交わしたことも。そうした旅を重ねるほど、歴史は今に生きていると実感します。コロナ禍では旅もままなりませんが、今はグーグルマップという便利なツールがあるので(笑)、本を傍らに置いてあちこち旅しています。(談)
内藤弘康さんの経営論
その商品開発力で多くのヒット商品を生み出してきたリンナイ。アメリカや中国など海外市場も好調です。
高品質を追求し驚きと感動を提供
1920年の創業以来、厨房(ちゅうぼう)機器、給湯機器、暖房機器、衣類乾燥機など、多様な商品を製造・販売するリンナイ。電気とガスを組み合わせて省エネ性能と快適な暮らしを両立するハイブリッド給湯・暖房システムや、浴室のヒートショック対策に役立つ浴室暖房乾燥機など、社会課題に貢献する商品の提案も多く行っている。内藤弘康社長は創業者の三男である故・内藤明人氏の娘婿。工学畑から同社に移った。
「入社は1983年、最初は営業担当でした。折しもガスコンロの変革期で、電子制御などの新機能に関するクレームが発生、営業もその対応に追われました。私はそのあと生産技術部に移りましたが、営業現場の危機感が開発部門に伝わっていないと感じました。そこでクレームのデータ化を推進。手間のかかることなので敬遠する販売店もあって苦労しましたが、根気よく説得してデータを積み重ね、それを開発部門にフィードバックする品質保証の体制を整えました。品質向上に欠かせないプロセスだったと思います」
社長就任は2005年。開発部門に「他社の後追いや安売りはやめ、品質・デザインともに練り上げた商品を」と呼びかけた。07年に販売を開始したビルトインコンロ「デリシア」は、品質に加えデザイン性の高さが評判となった。
「高付加価値商品に絞ることでブランドの存在価値が高まりました。『デリシア』は高価格ながら人気ブランドに育っています。私が常々社員に伝えているのは、商品すべてが驚きと感動を提供するものでなければならないということ。衣類乾燥機『乾太くん』や『マイクロバブルバスユニット』の近年のヒットはその成果と言えると思います」
ガス式のパワーが特徴の「乾太くん」は、衣類乾燥やアイロンがけの時間短縮を望む共働き世帯を中心に支持され、業務用機は医療・介護施設や宿泊施設の需要が拡大している。新しい入浴体験を提供する「マイクロバブルバスユニット」の好調は、コロナ禍の巣ごもり需要もあるようだ。
次の100年に向け、挑戦は続く
同社はアメリカ、中国、オーストラリア、韓国、インドネシア、ブラジル、イタリアなど世界各国で事業を展開。近年は特にアメリカと中国の売り上げが好調だ。
「アメリカではコロナ禍の影響でセカンドハウスの購入や改築が増えており、湯切れの心配がない瞬間湯沸かし器を備えたいというニーズが高まっています。中国では一日で数兆円の売り上げがあるという大規模ネット通販の日『独身の日』に、当社の瞬間湯沸かし器がガス給湯器の売上額で1位となりました。販売台数は5番手でしたので、たとえ高額でも当社の商品が強く支持されていることがわかります」
今後はエネルギー消費削減などに貢献する環境対応商品の開発に一層注力していきたいと語る内藤社長。
「社員の自主性や創造性を尊重すると同時に、皆が同じ⽬標に向かっているか、視線のベクトルが合っているかを常に意識しています。当社の思想の原点である『品質こそ我が命』を堅持し、次の100年に向けて挑戦し続けます」