1. HOME
  2. インタビュー
  3. リーダーたちの本棚
  4. 日本大学学長・酒井健夫さんの本棚 読書を通じて人生の登り道を探す
PR by 朝日新聞社 メディアビジネス局

日本大学学長・酒井健夫さんの本棚 読書を通じて人生の登り道を探す

教育理念「自主創造」と重ねて読んだ心の書

 人生は山あり谷ありの連続です。しかも明るい日が差す山の尾根を歩ける時間はほんのわずかで、谷底を黙々と歩き続けることの方が多いように思います。大切なのは、谷底にいても冷静にルートを検証し、登りの道を探すことではないでしょうか。私にとって読書は、谷底における道探しです。迷ったり、悩んだり、挫けそうになったりした時に愛読書を手に取ります。中でも松下幸之助の名著『道をひらく』は長く愛読しています。松下さんは優れた事業家であると同時に、自らの経験に基づく人生訓を惜しみなく後進に授けた教育者です。本書で私が好きなのは、冒頭の「道」という文章。「自分には自分に与えられた道がある。他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる」といった内容は、「自ら考え、自ら学び、自ら道をひらく」人材育成を旨とする本学の教育理念「自主創造」にも重なります。読むたびに目の前に明かりが灯るような感覚を覚える一冊です。

 私は日本大学農獣医学部(現・生物資源科学部)の出身です。入学は1962年で、当時は世田谷の三軒茶屋に木造の学び舎がありました。在学中に東京オリンピックが開催されるなど、日本中が熱気にあふれた時代です。学生紛争が起こる以前でしたので、学生と教職員との一体感があり、意欲のある学生は1年次から研究室に入れるという、まさに「自主創造」を地で行く環境でした。学生の年齢層は18歳から30代までと幅広く、経験豊富な年上の同級生から教わることも多くありました。この時の出会いや経験は、私の研究者・教育者人生の原点と言えます。

 私の研究テーマの一つが狂犬病ウイルスに関するもので、南米の国々を調査して回り、現地の大学と共同研究などを行いました。活動は十数年にわたり、この間に多くの日系移民の方々と知り合い、後に日系2世や3世の日本留学を支援するJICAのプロジェクトにも携わりました。彼らと交流する中で強く感じたのは、1世から脈々と受け継がれてきたアイデンティティーです。日系移民の方々がどんな戦前・戦中・戦後を生きてきたのか。いろいろと読む中で『失われた祖国』に出合いました。戦時に全財産を奪われ、戦後も迫害が続いた日系カナダ人の苦難の道のりを描いた自伝的小説です。過酷な境遇に耐えて人としての権利と暮らしを取り戻した彼らの生き方に胸を打たれました。

日本が歩むべき道を示唆する書たち

 私自身は戦中生まれですので、日本の戦後復興とともに生き、復興の歩みに興味を持ってきました。読書ではジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(中公文庫・品切れ)が心に残っています。アメリカ人歴史学者の視点で天皇制、東京裁判、新憲法などを検証し、占領下の日本がGHQの判断にどう対応してきたかを書いています。著者は暗に日本の無責任社会を指摘していますが、確かにそうで、平和と民主主義の国に生まれ変わったように見えて、指摘された点は今も変わっていないように思います。国際社会ではある種の柔軟性が必要です。一方で最終的に求められるのは、主体的な芯のある決断です。日本の学校教育では敗戦前後を多く教えませんが、若い世代ほどこの時代を知り、謙虚に歴史を直視し、リーダーシップをもって時代を切り拓いてほしいと思います。
 小説は池波正太郎作品が好きで、『真田太平記』は夜眠れない時にページを開く愛読書です。全体の主人公は真田幸村だと思いますが、私は幸村の父・昌幸と、兄・信幸に共感します。時勢の変化に柔軟に対応しながら強国と渡り合い、真田家を後世につないだ彼らの生き方は、現代にも通用するような気がしています。

 『成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ』は、2010年の刊行時から何度も読み返しています。地球温暖化、環境破壊、地域紛争などが世界的な課題となる中で、日本はどのような道を歩むべきか。本書では、既に下降局面に入った日本は、明確な国家ヴィジョンのもとで経済政策を転換し、産業や生活の優先順位を入れ替えない限り沈む一方だと説き、成長期から成熟期に移ったこの国に必要な改革を示しています。私が特に注目したのは、成長が期待できない中で活力を維持するという発想です。これは日本の大学にも当てはまることで、少子化が進む中でいかに大学の活力を維持するかが問われています。
 本学では、教学DXや、データに基づいて個々に合った学修を提案する「オーダーメイド型サポート」を推進しています。世界の課題解決に貢献する人材を育成するためにも、学修環境の持続的な発展に努めることが学長としての使命だと思っています。(談)

酒井健夫さんの経営論

 2022年7月1日に日本大学学長に就任した酒井健夫さん。教育理念である「自主創造」の精神と「教学優先」を核とした「日本大学ルネサンス計画」を掲げ、同じく理事長に就任した作家の林真理子氏と二人三脚で、大学改革を進めています。

自主創造と教学優先を柱に改革を推進

 「改革を実行する上でコアとなるコンセプトは、教学における『個』の尊重と、総合大学としての『全』、すなわち一体感の創出です。個は学生・生徒、教職員、16の各学部、87の各学科等を指します。学生・生徒の自律性や自主性を重んじながら、学部間の連携と協力を図り、総合大学のスケールメリットを活かしていきます。今の社会で求められているのは、自然科学の知と、人文・社会科学の知を融合した『総合知』です。多様な個の集合体である本学が最も得意とするところであり、文系・理系など既存の枠組みにとらわれない横断的、学際的な教育・研究ができる環境づくりを徹底していきます」
 同学ではコロナ禍が始まり対面授業が困難になると、学生の学修環境への配慮と教育効果向上のため、いち早く全学で利用できるオンラインプラットフォームを用意するなど、教学DXにも力を入れる。

 「現在は対面授業を再開していますが、全学生を対象に実施した調査では、コロナ禍におけるオンライン授業に関する満足度が高く、それと同時に学生たちのITリテラシーの高さを確認しました。今後は、ICTの導入によって学修成果の可視化を図り、個人の特性や潜在能力を伸ばす『オーダーメイド型サポート』を力強く推進してゆきます」

説明責任を果たし、開かれた大学へ

 改革を進める上での課題について酒井学長はこう語る。
「度重なる不祥事により失墜した信頼を回復することが第一の課題です。学生・生徒の皆様、保護者の皆様、卒業生の皆様に説明責任を果たし、社会に向けて『教学優先の復興』を示していく必要があります。学長としては、学内の各行事に参加して学生や教職員の意見を聞き、どんな小さなこともメモを取り改革と復興の参考にしています。9月からは、私の思いや活動を届けるべく『学長ブログ』の配信も始めました。驚いたのは学生たちから多くの反応があること。中には意見や要望もあるので、必要であれば改善を図り、関係学部に学生との面談をお願いすることもあります」

 学生たちとの距離を縮めながら開かれた大学へ転換していきたいと語る酒井学長。大学時代や、卒業後に実感した日本大学の魅力について伺うと、こんな答えが返ってきた。
 「大学時代は戦後の復興と開発の熱気に包まれた中で、知的好奇心をかきたてられながら社会の動向を見つめ、若い感性を磨き、知識や技術を貪欲に吸収する日々でした。同時に生涯にわたる友人や先生との出会いに恵まれました。卒業後は校友のネットワークが心強い財産です。130年を超える歴史を持つ大学ですので、現時点での卒業生の数は123万人を超えます(2022年3月現在)。その方々が各分野で活躍され、同級生や先輩・後輩同士でつながっています。大学は学びと研究の場であり、人との出会いの場です。有意義な学びと出会いが生まれる環境整備に努めていきます」

酒井健夫学長の経営論 つづきはこちらから