1. HOME
  2. インタビュー
  3. 歴史の時間軸で「生きる」本を みすず書房75周年、守田省吾社長に聞く

歴史の時間軸で「生きる」本を みすず書房75周年、守田省吾社長に聞く

守田省吾・みすず書房社長。アーレント、サイードらの本を担当してきた=同社提供

 みすず書房(東京都文京区)が創業75周年を迎え、全国の書店で順次、記念フェアが開催されている。戦後出版史に名を残す国内外の作品の数々を世に送り出し、変化の激しい時代にあっても存在感を放つ。守田省吾社長(65)に聞いた。

 「目の前の問題への即答ではない。政治的な主張を表明することでもない。長い歴史の時間軸の中で考え、視野を広げる。そんな本を作ることを目指してきました」

 自社の本を貫く理念について、守田さんは語る。

 これまで約5千点を刊行、3分の1弱にあたる約1700点が絶版にならず「生きて」いる。今回「みすず書房75年の本――ロングセラーを中心に」と題したリストを作って自ら執筆し、本の「生命」「運命」を考えさせられたという。

多彩な問題提起と先見性

 戦後まもなく焼け野原の東京で出版業を志した信州出身の創業者らには、真理と芸術文化への希求の思いがあった。『ロマン・ロラン全集』などに始まり、哲学・思想、文学、歴史、宗教、芸術、社会、精神医学、自然科学など多領域に及ぶ作品の顔ぶれは、そのまま戦後史を見晴らすスケールと奥行きをもつ。一つのシンボルが、1962年から18年間にわたり全45巻(別巻1)に及んだ『現代史資料』シリーズである。

 そうした多彩な問題提起の中から、フランクル『夜と霧』の累計約150万部を筆頭に、神谷美恵子『生きがいについて』、アーレント『全体主義の起原』など多くの読者を獲得する作品も生まれた。

 レヴィ=ストロース『野生の思考』のように、思想史の転換点となった作品を紹介するなど、先見性への評価も高い。丸山真男、瀧口修造ら、第一級の知性たちの助言もあったという。

 それにしても、教養主義が崩壊し、長期的な出版不況が続くなか、反時代的にさえみえる企画を維持できている秘訣(ひけつ)は何か。

 守田さんによると、無論、経営努力が大きい。新刊点数を年間70点前後と厳選、一点ずつ原価率を厳密に守る。人員規模も長年、全社24人前後と変わらない。高度成長期でも拡大主義に走らなかったことが、本のみの収益で回す経営基盤を可能にした。

コミック・経済書・・・若手が開拓

 他方では「あしき保守主義に陥らない」という、柔軟な姿勢もありそうだ。2009年、同社で初のコミック『フロム・ヘル』が話題を集めた。東日本大震災後には、阪神大震災直後に緊急出版した中井久夫編『1995年1月・神戸』の一部テキストを電子化して無料配信。以後、電子書籍化にも意欲をみせる。また大きな反響があった14年のピケティ『21世紀の資本』も、若い編集者が同社に少なかった経済の本に挑戦した成果だった。

 「この十数年、大物知識人の訴求力が弱まり、僕自身も悩んでいる間に、若い編集者たちは新しい著者、企画を開拓してきた。従来の読者層と違う、若い人たちにも届けようとしている」

 守田さんが力を込めるのは、「無名の読書人」の存在だ。日々の暮らしに引きつけて読み、自分で考える。「そういう人たちがこの国の文化を支える一番良い読者だし、一番怖い存在でもある」と。

 コロナ禍の1年は、それを改めて実感した機会でもあったという。本の売り上げが増え、しかも刊行後1年以上の本が読まれている。書店で手に入りやすいトップクラスのロングセラーだけではない。たとえば『野生の思考』、ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、リースマン『孤独な群衆』、長田弘『世界はうつくしいと』……。

 「まだ分析しきれていないのですが、読者はこちらが想像するより、ずっと多様で深いものを求めているのではないか。どんな時代も、基本は読者を信頼することだと思う」(藤生京子)=朝日新聞2021年5月12日掲載