「泳ぐ者」書評 心に棲む鬼 暴れさせるのは人
ISBN: 9784103342342
発売⽇: 2021/03/17
サイズ: 20cm/248p
「泳ぐ者」 [著]青山文平
青山文平が2016年に出した『半席』は、徒目付(かちめつけ)の片岡直人が上役から持ち込まれた非公式な御用を務める連作短編集だった。
その御用とは刃傷沙汰の動機探しだ。科人(とがにん)は罪を認めているが、事件を起こした理由を語らない。直人は些細(ささい)な引っ掛かりからその〈なぜ〉を見抜いていく。
人の心の闇を解き明かしながら、直人が自らの道を模索するこの連作は、時代小説読者はもとよりミステリファンをも瞠目(どうもく)させた。
その続編、しかも今度は長編だ。期待が高まる。ところが著者は、この『泳ぐ者』で直人をいきなり挫折させたから驚いた。
今回も物語の幹になるのは動機探しである。
重篤な病に伏せっていた武士が、離縁した元妻に刺された。世話が必要な病を得てから妻に暇を出すのも奇妙だし、離縁から三年半経って殺しにくるのもおかしな話だ。周囲に聞き込みをした直人は、ある仮説を立てた。ところが事件は思わぬ結末を見せる。
その失敗を引きずる直人が出会ったのは、初冬の寒さの中、大川を泳いで渡る男だった。その理由を聞いて一度は納得した直人だったが、こちらもまた予想外の展開が待っていた。
印象的なのは、人の心に棲(す)まう鬼の描写だ。人は誰しも心の中に鬼を飼っていて、それを馴(な)らしながら生きている。だがあるとき、その鬼が暴れ出す。
科人たちの鬼を引き出したものは何か。それが動機探しの肝だが、悲しいことにそれもまた人なのだ。詳細は伏せるが、これは現代の我々にも通じる尊厳の問題であるとだけお伝えしておこう。直人が真相に到達するまでの話運びも実に巧妙。終わったはずのエピソードが別の意味を持って、悲しみとともに浮かび上がるくだりは圧巻だ。
なお、このシリーズは随所に登場する食事の場面も読みどころ。季節感あふれる江戸の料理が、重い物語をふっと和ませる。併せてお楽しみいただきたい。
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あおやま・ぶんぺい 1948年生まれ。『白樫の樹の下で』でデビュー。『つまをめとらば』で直木賞。