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ヘルマン・ヘッセ「デミアン」 「心の中の自分」見つめ成長、時代の節目のいま読むべき本

Hermann Hesse(1877~1962)。ドイツの詩人・小説家

桜庭一樹が読む

 この世には、一年、一月、いや、一秒でも若いうちに読むべき本が存在する。ドストエフスキーとヘッセの作品がその代表だろうか。わたしは中学生のころ後者を読み漁(あさ)り、しばらく様子が変になってしまった。

 今作の主人公は、内気な少年シンクレール。十歳のとき、カリスマ的な少年デミアンの手で不良から救われ、神学校に進学してから、彼と再会する。やがて第一次世界大戦が始まり、従軍。負傷し、夢の中でデミアンと再び出会い、二人はついに融合するのだった……!

 表の世界の自分が、世間に適応することでイッパイイッパイの一方、深層心理の奥では、実は鋭く本質的な“世界への問い”が生まれ続けている。周囲に翻弄(ほんろう)されつつも、シンクレールの心は、ユングの心理学、ニーチェの哲学、グノーシス主義などの思考の旅をし続け、空想上の友達(イマジナリーフレンド)のデミアンがよき導き手となる。誰しもが子供のころ持っていた“自分自身より賢い、心の中のもう一人の自分”と一つになることで大人に変わるという、暗いロマンに満ちた成長物語だ。

 著者は、一八七七年ドイツ生まれ。神学校を脱走し、紆余(うよ)曲折を経て作家に。第一次世界大戦勃発時に戦争を批判し、ドイツ国内でいわゆる炎上状態になってしまう。だが終戦直後の一九一九年、別名で本書を刊行すると、辛(つら)い戦禍を経験した若者の間で一大ブームを起こした。

 今作は“古い世界の終わりこそ新しい良き世界の始まりである”という、著者の心からマグマのように噴き出るテーマを、個人の実人生(大人への成長)と歴史(世界大戦勃発)の二重写しで描く怪作でもある。アメリカでも、ベトナム戦争が起こった六〇年代以降、若者の間で流行したというが、ではコロナ禍のいまの日本では、世界では、どのように読まれるだろう?

 これはいつか読む本じゃなくて、いま読む本。できたら一年、一月、いや一秒でも早く開いてほしいと、個人的に勧めたくなる一冊だ。=朝日新聞2021年7月3日掲載