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小川哲さんが「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ」の犯人に感情移入したわけ

 僕の両親は共働きだったこともあって基本的に放任主義だったが、それでもいくつか守らなければならない家庭内の法律があった。たとえば「どれだけ嫌いな食べ物でも一口は食べなければならない」という法律のせいで、茄子やセロリなどが食卓に出ると、一口食べるまで他の食べ物に箸で触れることすら許されなかった(そのおかげか、大人になってから食べ物の好き嫌いが一切ない)。

 小説を読むと小遣いがもらえるという法律もあった。僕はアルバイト感覚で小説を読み、稼いだ金で漫画や駄菓子を買っていた。そんなことをしているうちに、僕は読書が好きになってしまい、小遣いももらわずに勝手に本を読むようになっていた(今では小説を書くことを仕事にしている)。

 「三つ子の魂百まで」と言うが、そういった子どものころに家庭内で制定された法律のうち、今の自分にもっとも大きな影響を与えているのは、間違いなく睡眠に関する規則だ。

 おそらく母親が制定したものだが、僕の家には「子どもは毎日八時間以上寝なければならない」という法律があった。僕の学校は自宅から少し離れた場所にあり、毎朝六時半には起きなければならかった。逆算すればわかるが、法律上の問題で、僕は毎日午後十時半には眠りにつく必要があったのだ。

 この法律のため、中学生になって修学旅行に行くまで、僕は日付が変わるまで起きていたことは一度もなかった。子どものころ、僕の世界はかならず午後十時半に終わった。朝の六時半に目を覚ますまで、世界は眠りについていた。

 しかし、この法律には一つだけ例外があった。西村京太郎サスペンスの「十津川警部シリーズ」が放映される日だけ、この法律が適用されないのだ。「十津川警部シリーズ」は月曜日の午後九時から始まる二時間ドラマなので、最後まで観ると午後十一時になってしまうが、どういうわけかその日だけは違法行為が許されていた(たしか、僕たち家族はそれを「恩赦」と呼んでいた)。

 なぜ「十津川警部シリーズ」が選ばれたのかは、僕にもわからない。僕自身に何か思い入れがあったという記憶もない。もしかしたら、家族で二時間ドラマを観ている最中、いつも午後十時過ぎには眠りにつかなければならなかった僕を不憫に思ったのかもしれない。そういうわけで、僕は年に何回か、「十津川警部シリーズ」が放映される日だけは、ほんの少しだけ夜更かしすることができた。

 「十津川警部シリーズ」では、かならずどこかの旅先が登場する。犯人役に豪華なゲストを起用していることが多いので、犯人はすぐにわかることが多い。犯人にはかならず鉄壁のアリバイがある(多くの場合、特定の寝台列車や特急列車に乗車していた証拠がある)。十津川警部(渡瀬恒彦)と亀井警部補(伊藤四郎)は、列車の仕組みや時刻表の穴などを見破り、アリバイを崩して犯人を追い詰める。

 僕の場合、子どものころに観た映像作品のほとんどは、その内容についての記憶をすっかり忘れてしまっている。あれだけ熱心に観ていたというのに、覚えているのは主題歌だけ、ということもしばしばある。だが、どういうわけか「十津川警部シリーズ」については鮮明に覚えている。特に犯人の顔や演技などは今でも脳裏に浮かぶ(とりわけ印象深いのは、かたせ梨乃と七瀬なつみが出演していた「ミステリー列車が消えた!」の回や、池上季実子と大杉漣が出演していた「寝台急行『銀河』殺人事件」の回など)。

 これは仮説なのだが、「十津川警部シリーズ」を観ているときの僕は、「午後十時半を過ぎてもまだ起きている」という違法行為をしている犯罪者だったので、犯人に感情移入していたのかもしれない。

 小説家は、好きなときに寝て、好きなときに起きればいい。今では毎日のように夜更かしばかりしているが、「毎日八時間以上寝る」という習慣は継続している。というか、「毎日八時間以上寝る」ために、この職業を選んだのだ。