1. HOME
  2. 書評
  3. 「ホーキング,ホーキング」 大胆な仮説で物議 注目を楽しむ 朝日新聞書評から

「ホーキング,ホーキング」 大胆な仮説で物議 注目を楽しむ 朝日新聞書評から

評者: 須藤靖 / 朝⽇新聞掲載:2021年08月07日
ホーキング,ホーキング 自らの神話を構築した天才の知られざる物語 著者:チャールズ・サイフェ 出版社:青土社 ジャンル:物理学

ISBN: 9784791773862
発売⽇: 2021/06/28
サイズ: 19cm/594,43p

「ホーキング,ホーキング」 [著]チャールズ・サイフェ

 歴史上もっとも有名な物理学者を聞かれたら、ニュートン、アインシュタインに続きホーキングを挙げる人が多いに違いない。
 21歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、余命2年半を宣言される。にもかかわらず宇宙に特異点(始まり)があることを証明し、ブラックホールの蒸発を予想した。ALSの進行とともに手書きの計算ができなくなり、さらには気管切開手術を受け音声合成器なしに意思の疎通が不可能になろうと、学生との議論を通じて多くの重要な研究成果を発表し続けた。その知力のみならず強靱(きょうじん)な精神力には舌を巻くのみだ。
 ホーキングを端的に象徴する「車椅子の天才」というキャッチフレーズは、人々の待ち望むヒーローの登場を意味し、彼を極度に偶像化した。そもそもメディアにおける著名人のイメージは、大衆の期待に合わせて創作された虚像がほとんどである。
 これはホーキングにもあてはまる。彼が第一級の物理学者であることは言うまでもないが、ニュートンやアインシュタインになぞらえるのは明らかにやりすぎだ。障害者だからといって人格者扱いすることもまた偏見である。
 彼の余命を知った上で結婚した最初の妻ジェーンと修復不能な関係に陥り、看護師エレインと数年の不倫の末に結婚する。その後、彼女からの虐待をたびたび疑われながらも、その件には完全に口を閉ざしたまま離婚する。伴侶の自発的自己犠牲を失った後でも、第三者の介入のもとで、食事、ワイン、音楽、そして身体感覚的な欲求までも素直に楽しむ。
 本書は、物理学、ALSとの闘い、家族・友人・学生との関係を、現在から過去へ時間をさかのぼりつづった非公認のホーキング評伝だ。傲慢(ごうまん)で頑固だが常に皮肉の利いたエスプリを忘れない科学界の稀有(けう)なスターの実像を、著者の視線で赤裸々に伝えている。
 型破りで大胆な仮説を公表し物議をかもしては、注目されるのを楽しむ。気に食わない相手は激しく攻撃したが、物理学上の難問を巡って同僚と賭けを行い世間の耳目を集める。一方で、身体に障害を負った若者の支援に熱心だったにもかかわらず、旅先で障害児たちをしばしば訪問していた事実はあえて全く公表していない。
 世界的ベストセラー『ホーキング、宇宙を語る』の執筆は、彼の医療費を賄うとともに、社会に注目されることを目的としていた。その予想以上の成功によって世界的スターとなったが、彼はそれを維持できる才覚を備えていた。
 動詞のhawkには、「行商する・宣伝する」との意味があるそうだ。ホーキングの人生を見事に示唆しているようで興味深い。
    ◇
Charles seife 物理や数学を専門分野とするジャーナリスト、ニューヨーク大教授(ジャーナリズム論)。著書に『異端の数ゼロ』『宇宙を復号する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』など。