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藤巻亮太の旅是好日 オリンピックにある敗者の物語

文・写真:藤巻亮太

 熱狂のオリンピックも終わり、これからパラリンピックが始まるというタイミングで原稿を書いている。私も様々な熱戦を観戦し、そのたびに心が震えるような感動を味わった。今大会は前回のリオを超え、日本史上最もメダルを獲得したオリンピックであった。新種目が追い風となった面もあるが、コロナ禍で開催さえも危ぶまれる中、開催国日本の選手たちの並々ならぬ覚悟の現れであったようにも思う。

心技体を考える

 スポーツに限ったことではないが、競技に臨む選手にとって心、技、体のコンディションが合わさってこそ、最高のパフォーマンスが発揮できる。年を重ねるに従い若い頃のように体が動かなくなるのは筋力の衰えのためで、「体」の状態がまずは大切である。「技」とは、その競技を突き詰めた先にある特化した筋肉の連動であり、無駄な力が入らず余計な動きのない、実は使っている筋力が最小限の状態である。そう考えると、筋肉の連動で起こる技が衰えるまでには時間がかかり、技を持っているというのは現役生活の長さに大きく貢献してくれそうである。

 そして最後に「心」であるが、これは「体」「技」とは違ったベクトルで扱う必要がありそうだ。誰もが、ある競技を始めた原体験に何がしかの想いがなかったならば続けることは出来なかったであろうし、競技に対するモチベーションからして、心のあり様は大切である。続ける中で成功体験を積み、負ける悔しさを知り、人間関係の中で磨かれ、歴史の重みの中に学び、心は高められもするだろう。

 柔道の大野将平選手は、監督の井上康生氏から常に「平常心」と言われていたという。しかし、そうやって培ってきた心があったとしても、本番でベストなパフォーマンスが出せるかどうかは分からない。緊張やプレッシャーの中で集中力が研ぎ澄まされることもあれば、散漫になってしまうこともある。それまでに積み上げ磨いてきた「技」「体」のポテンシャルを活かす力も殺す力も「心」にはあるのだ。そう考えると「心」は長い時間をかけて育まれ、絶えず刹那的に活かされているのだ。

苦境でも歩みを止めなかった孔子

 知人から薦められてオリンピック期間中に読んでいたのが、白川静氏の『孔子伝』である。私は白川氏の『常用字解』を持っていたので、漢字研究の第一人者であることは知っていたが、孔子について深い研究をされていたことには驚かされた。孔子は2500年も前の中国の思想家、哲学者であり、釈迦、キリスト、ソクラテス、と並び四大聖人と呼ばれている。死後に弟子たちが纏めた『論語』は、世界的な名著中の名著だ。

 『孔子伝』を読んで私が感動したのは、孔子という人物の生涯だ。50代から60代半ばになっても亡命して各国を転々とし、世にいう安泰した立場にあった人物ではなく、その思想を国政の場で実践することを望みつつも、ほとんどその機会に恵まれなかった。しかしどんな苦境の中でも歩みを止めず、人間の在り方について絶えず問い続けた人物であった。

私が『論語』を、教室の講義のためではなく、自らのために読んだのは、敗戦後のことであった。別に思想としての要求や、入信を求めてのことではない。暗い海の上をひとりただようて、何かに手をふれていたいという衝動があった。そして読むうちに、この書が、敗北者のための思想であり、文章であると思うようになった。読んでいると、自然に深い観想の世界に導かれてゆくような思いであった。
(白川静『孔子伝』文庫版のあとがきより)

勝者は勝者であり続けられるのか

 さて今回の東京オリンピックだが、205の国と地域、並びに難民選手団から約1万1000人が参加し、33競技339種目が争われた。つまり339種の金メダルを争う戦いのなかで頂点に立てた人は一握りであり、団体競技もあるので正確な数は分からないが、約1万1000人の参加者のうち、1万人近くは敗者となる(代表選考まで含めると0の数は桁違いだろう)。

 オリンピックはメダルを争う華々しい面が注目を浴びるが、その裏でおびただしい数の敗北の物語があるのだ。前評判やデータを覆して活躍する選手がいれば、優勝を期待されていながら結果が出せない選手もいる。その時、置かれた場所で最高のパフォーマンスを出すために選手は人生を賭け、血の滲むような努力をされてきたであろうし、選手を支える側も同じような想いでサポートされていたに違いない。ゆえに人知れず負けてゆく者にも、その人生を通した尊い物語があるはずであり、敬意を払わずにはいられない。

 敗者の佇まいにも人間としての深みや、我々の胸を打つものを感じさせてくれるのもスポーツの大きな力であろう。しかし勝者が絶えず勝者であり続けることなどできるであろうか。「敗北者のための思想」をつづった孔子の伝記を読みながら、スポーツのように明確な勝敗がつかない人生においては尚のこと「心」はどこまで磨いてゆけるものなのであろうか、と思い耽った。