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こがらし輪音さんが小説の到達点の一つと感じている「海底2万マイル」

『海底2万マイル』(講談社 青い鳥文庫)

 本を読むのは好きですが読書感想文は昔から苦手です。面白い小説を読んでも語彙力が無いので、「普通に面白かった」っていうとても作家とは思えない感想しか出てこないんですよね。「好き」を言語化するのって語彙だけでなく心理的にも結構難しいことですし、だからこそ自著の感想を上げてくれる読者さんには感謝しかないのですが。

 そんな私が読書感想文の季節になると何度もお世話になっていたのが『海底二万マイル』です。課題の手抜きじゃなくて本当に純粋に作品が好きなんですよ。そういえば最近知りましたけど原題は『海底二万リュー』で、日本語訳として正確なのは『海底二万里』なんですね。「マイル」で魂に刷り込まれているのですごい違和感があります。

 小説を読む大きな意義に「自分が経験し得ない事象を疑似体験すること」があると思っているのですが、その意味で『海底二万マイル』は一つの到達点だと思っています。海底火山に美しい珊瑚礁に伝説の都アトランティス、潜水服を着ての海底散歩、巨大真珠や沈没船のお宝、怪物クラーケンとの死闘、そして海の住人と陸の住人の倫理観のぶつかり合い。どれを取っても魅力的な題材ばかりで、ページをめくる手が止まりませんでした。南極で氷に閉じ込められて酸素不足になるシーンは子供心にトラウマでしたね。どんな媒体でも窒息は最も恐怖と焦燥を煽る描写だと思います。

 キャラクターがそれぞれ個性豊かで覚えやすかったのも有り難かったですね。特にネモ船長の「語り手(アロナックス教授)にとって敵でも味方でもない」というスタンスが好きです。潜水艦を出て地上に戻ろうとすれば容赦しないが、潜水艦に留まる限りは客人として迎え、豪勢な料理を振る舞いアロナックス教授と学術談義をし、連れ添った仲間の死は涙して悼む。それまで読んでいた本は、多くが「主人公の敵の打破もしくは改心」という目的をどこかしらに据えていたので、価値観の異なる人間同士が最後まで異なるまま行動を共にするというストーリーは当時の私にとって斬新な体験でした。仲間想いのブレない男は良いものです。

 頑なに陸を拒絶し海の住人として生きるネモ船長の生きざまは、初見の頃は陰気で融通が利かない奴だとも感じられましたが、今の時代だからこそ理解できるところもあります。海底なら権力闘争にも戦争にも巻き込まれませんし、地上がいくら感染症で大騒ぎになっていても無縁でいられますからね。自然災害や危険生物との遭遇リスクは厳然として存在しますし、物資の定期補給でうっかりウイルスを艦内に持ち込んだりしたら大惨事ですが。

 子供時代に愛読していた文庫は既に手元を離れてしまったのですが(確か青い鳥文庫版だったと思います)、食事の描写がものすごく美味しそうだった記憶があるんですよね。肉より断然魚介派なので、私も是非ノーチラス号のクルーになりたいです。でも備蓄の食糧に白米と醤油はあるんでしょうか。ネモ船長の性格的に艦内にWi-Fiも通ってなさそうですよね。じゃあダメだ。