ISBN: 9784588151194
発売⽇: 2021/08/25
サイズ: 22cm/332p
「人文主義の系譜」 [著]木庭顕
わたしは、おそらくは木庭顕の良い読者ではない。
何度挫折したか。木庭は受け手の可能性を信じるから、手加減しない。例えば、『政治の成立』に始まる三部作では、古代ギリシャ・ローマの古典全般の素養は当然の前提だ。木庭は、師のレーポレについて本書で「極めて難解であり、読者を不安に陥れることしか考えていないのではないかと疑われるほど」と語るが、師だけではない。
だが、木庭の作品には、周到な未完のミステリーを読み解くような魅力がある。読者は、法や政治のエッセンスが分かった、いや取り逃がした、という読書体験を繰り返しながら思索に誘われる。文章は鋭利で、文体には中毒性がある。だから、試験勉強に飽き足らぬ学生たちを夢中にさせてきた。
本書も難解だが狙いは明確だ。
政治・デモクラシー・法が「目の前で脆(もろ)くも崩れ去る、一向に定着しない、という現実」。これらを支える基礎はなにか。同様の現実を前にして、この問いを探究してきた知の伝統がある。木庭はその長い伝統を検討し、自らの探究の方法を積み重ねようとする。本書はこの問題関心から、論拠や史料を厳密に吟味する知の営み(クリティック)がどんな形態を採り、どう変遷したかに注目してヨーロッパ思想史を論じる。人文主義から構造主義やポスト構造主義までが射程に収まる。
しかし、木庭は「古典を担ぐ」のではない。知の伝統から教訓を切り取って、権威ある教えとしてまつるのではない。そうではなく、知的伝統の分厚い積み上がりを丁寧に一枚ずつ剝ぐ。そして距離感をもって過去と現在を往復する。この歴史学の手続きを欠けば、「船は出港していないからそれは宝島ではなく、自分の家の庭を掘って終わるだけである」。古典に対する木庭のこうした態度は、彼が人文主義に見いだす知的態度と同じだ。
木庭というミステリーを謎解くヒントは、ほかにも用意されている。実証主義に至る系譜と、対抗する系譜。この対決を鋭く描いた木庭は、後者に批判的に連なる。史料の齟齬(そご)や対立を解消せずにそのまま先送りし、そこから社会構造を探る。思想の積み上がりに注目する。木庭はこれらの方法を、レヴィ=ストロース、モミッリャーノ、レーポレから継承している。対抗緊張や成層構造は、本書を貫くキーワードであり、木庭の仕事を読み解く鍵だ。同時期に、豊かな訳注を付して訳出した『モミッリャーノ 歴史学を歴史学する』は、本書の理解も深めよう。
「綱領論文」と位置付けられる第1章には、木庭のエッセンスが濃縮されている。だからこそ、冒頭から難解さに面食らう読者もあろう。謎解きに挑む第一歩は、『誰のために法は生まれた』が良い。
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こば・あきら 1951年生まれ。東京大名誉教授(ローマ法)。著書に『政治の成立』『デモクラシーの古典的基礎』『法存立の歴史的基盤』の三部作ほか『ローマ法案内』『憲法9条へのカタバシス』など。