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「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹さんインタビュー こぼれた表現にこそ宿る力 

荒井裕樹さん

降り積もり浸透し 新しい思考開く

 荒井さんは障害者やハンセン病患者、女性らマイノリティーの自己表現を研究してきた。『障害者差別を問いなおす』など7冊の単著があるが、エッセーは初めて。

 執筆の出発点は、近年ますます日本社会をむしばむ「言葉の壊れ」への危機感にあったという。SNS上などで社会的に弱い立場の人に向けられる憎悪。重みと責任を失った政治家の発言。そんな息苦しい言葉があふれる時代に、「悔しさ」を感じていた。

 言葉には本来、もっと力があるはずなのだ。魂や尊厳や優しさにまつわるような。でも短くきれいにまとめようとすると、スルリと落ちてしまうものがある。

 「それが何かを考えたいと思いました。長年関わってきた人との語らい、心に響いた本の一節、日常の出来事を手がかりに、自分の中の『もやもやした思い』を書いていった。これを必要とする人っているのかな、と自問しながら」

 全18話に登場する話題は、たとえば、いじめられた子を励ます作文を書かせると、いじめる側に近い文章が出来上がるパラドックス。頑張れ、負けるなという激励が叱咤(しった)に転化してしまいかねない。「言葉がない」からだ。その「ない」ところから、人はどうやって励ましてきたのか模索する。

 子どもの保育園探しで知り合った女性の、行き場のない一言も忘れられなかった。育休の延長が難しい。産んだことが迷惑だったのか、そんなに悪いことをしたのか……。ダイバーシティーが叫ばれる社会の足元を見た。

 あるいは精神科病院の中にある造形教室の試みから、「癒やし」という言葉も考えた。昨今の癒やしブームとは違う。「なんとか」「どうにか」とつぶやくときの、「祈りに近い感覚」。そもそも、「病む」って何だろう? 回復という言葉にも、バリエーションがあればいい、と。

 話題は多彩だが、つきあいが深かった人の言葉を引き思索するくだりは、ひときわ迫ってくる。

 「半世紀以上も前から、世間の偏見や差別と闘ってきた人たちははっきり主張します。決して強い特別な人じゃない。ごく普通の人が傷つき悩みながら、やむにやまれぬ状況で声をあげた。自分の存在を表明していった。私自身が自己表現や自己主張が苦手だったからこそ、必死に絞り出される表現にひかれたのだろうと思います」

 彼らは苛酷(かこく)な条件に屈せず生きる一方、他者を励ます言葉も持っていたという。荒井さん自身にも、大切な記憶が幾つもある。

 飄々(ひょうひょう)とした身ぶりで、施設の常識にささやかな抵抗の意を示した障害者運動家。「生きた心地」を味わうことさえ闘いになる日常を送りながら、俳人として世間の空気に抗(あらが)う作品を生み出した。彼は承認欲求の強かった20代の荒井さんに、こう諭した。

 〈荒井君、評価されようと思うなよ。人は自分の想像力の範囲内に収まるものしか評価しない〉
 〈人の想像力を超えていきなさい〉

 もちろん多くの人々と関わる中で、厳しい経験もしたそうだ。「君は、どうしたいの?」と突っ込まれ、冷や汗をかいた。自らの女性軽視にも気づかされた。一方で、運動の歴史に関する武勇伝のような語り口に、違和感を抱いた。泣かされもした。距離をおいた時期もあった。

 「でも不思議ですね。また戻っている。そのときはわからなくても、時間とともに少しずつ自分の中に浸透し、定着してきた言葉の存在が大きいと思います」

 それが荒井さんの語る、「言葉は降り積もる」という性質の幸せな現れなのだろう。

 「言葉には、時空を超えて新しいものを気づかせてくれる力がある。あきらめたくないですよね」

 書き終えてから本にするまで、2年かけた。教科書でも行動綱領でもない本を目指したと話す通り、やわらかく、ゆっくりと読み手の思考を開かせてくれる。

 現在、3刷8千部。この分野の本では異例の売れ行きだ。個人経営の書店が熱心に発信し、読者が広がった。小さな読書会や勉強会で取り上げられているらしい。「うれしい本の届き方ですね」と顔をほころばせた。(藤生京子)=朝日新聞2021年10月13日掲載

>「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹さんインタビュー 差別・人権…答えが見つからないものこそ言葉に