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太宰治「津軽」 切なく美しい故郷での再会

だざい・おさむ(1909~48)。小説家

平田オリザが読むが読む

 かつて太宰治は「青春のはしか」とも呼ばれ、思春期の文学少年・少女たちは、みなこぞって「太宰は自分だ」と感じて傾倒した。「生(うま)れて、すみません」(『二十世紀旗手』)と恥じ入りながら、「撰(えら)ばれてあることの恍惚(こうこつ)と不安と二つわれにあり」(『葉』から。ヴェルレーヌの詩の引用)とうそぶく。そんな矛盾もまた、若者たちを引き付けた。

 太宰は戦後の無頼派の筆頭のように捉えられるが、実は戦前戦中に素晴らしい作品を残している。一九四七年に『斜陽』が大ヒットし、その後の『人間失格』が彼の代名詞となってしまったために、デカダンス(退廃)の印象が強いが、大人の太宰ファンは、この『津軽』を代表作にあげる人も多い。

 たしかに太宰は、二十代からパビナール(鎮痛剤)依存症となり乱れた生活を送っていたが、井伏鱒二の媒酌で結婚し、三十代に入ったあたりから生活も落ち着き秀作を連発するようになる。『女生徒』『新樹の言葉』『駈(かけ)込み訴え』『走れメロス』。いずれも小説としての企(たくら)みに満ち、それでいてみずみずしさを失わない傑作たちだ。

 なかでも本作は、太宰の根底にある優しさとユーモアを余すところなく発揮している。

 刊行は一九四四年。戦局が厳しさを増す中で、太宰はふるさと津軽を訪ねる。そこで出会う多くの人々は、かつて太宰が育った家の使用人たちだった。その邂逅(かいこう)の一場面一場面は、どれをとっても切なく美しい。

 戦争による窮乏が彼に、生涯で唯一の心身の健康をもたらしたという皮肉も、なんとなく太宰らしいではないか。

 最終盤、子守であったたけとの再会は、太宰文学の中でも際だって清廉な瞬間だ。

 「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」

 敗戦の前年に、こんな言葉で小説を締めくくるところにも、絶望の中での諧謔(かいぎゃく)とでも言うべき太宰の真骨頂が現れている。=朝日新聞2021年11月20日掲載