『吾輩は猫である』に、こんなせりふが出てくる。
「いくら勉強しても人は褒めちやくれず。郎君独寂寞(ろうくんひとりせきばく)ですたい」
この「郎君独寂寞」の出典は? 中国古典にそのままの表現はなく、漱石はある詩の一部を換え「郎君」にしたようだ。親友の正岡子規は、漱石を郎君(若旦那)と呼んだ。そのことばを、子規の没後に発表した『猫』にも使ったのでは……。
そんなエッセーが24編。漢詩文とその文脈を共有する小説や文章をめぐり、雑誌「UP」で続けてきた連載を季節ごとに編み直した。
『漢文脈の近代』などの著書では、近代日本が捨てた漢文脈という「森」の全体を見てきた。
「この本では、森に帰って一本一本の木や草をながめ、豊かさを感じています。外側から大枠を見渡す研究と、対になっていると思います」
副題の「文学のありか」については、「遠くではなく、日々のことばの中にあるのでは」と言う。
高校のとき、吉川幸次郎の本と出会った。「ことばの一つ一つを丁寧に論じながら、ことばがピチピチはねてくる」。その躍動感にひかれ京都大へ。中国文学を学び、「本を読み続けたい」と研究者になった。
本書では、吉川が杜甫のすべての詩に注釈を付けようとした『杜甫詩注』にもふれている。8世紀に起きた安禄山の乱の後も詩作を続けた杜甫と、戦後日本で学問をした吉川。杜甫は表現しようとするものに「的確な表現」を与え「自らのことば」にする。吉川は、それに注釈を加えて「自らの時代のことば」とした。そして書いたのが、『杜甫私記』と『杜甫ノート』だった。
「私が高校時代に愛読したのは、文庫本の『杜甫ノート』でした。『漢文ノート』という題の種を明かせば、そういうことなのです」(文・石田祐樹 写真・横関一浩)=朝日新聞2021年12月18日掲載