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朝日新聞書評委員の「今年の3点」① 阿古智子さん、生江英考さん、犬塚元さん、江南亜美子さん、大矢博子さん

阿古智子(東京大学教授)

(1)家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像(インベカヲリ★著、KADOKAWA・1870円)
(2)どんぐり喰(ぐ)い(エルス・ペルフロム著、野坂悦子訳、福音館書店・2310円)
(3)ニュージーランド アーダーン首相 世界を動かす共感力(M・チャップマン著、西田佳子訳、集英社インターナショナル・2200円)

 家庭に適応できず社会にも居場所を見出(みいだ)せない人が、新型コロナもあり、苦しい状況に置かれている。人間が人間らしくいられる場所をどう築けばよいのか。
 (1)は二〇一八年の新幹線車内無差別殺傷事件の犯人の内面に迫る。刑務所を「理想の家庭」と捉える歪(ゆが)んだ心理から自らの存在の意味を問う叫びが聞こえる。
 (2)は児童文学だが大人でも読み応えがある。内戦終結から間もないスペイン・アンダルシア地方の貧困家庭の少年はどんぐりを食べるような「あわれな連中」と差別されても、人としての尊厳を失わず生きる。
 マイノリティの声を聞き、非人間的な労働環境、差別、ハラスメント、暴力に向き合う女性リーダーを書いた(3)は、命を大切にする変化に向けたヒントをくれる。

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生井英考(アメリカ研究者)

(1)表象のベトナム、表象の日本 ベトナム人実習生の生きる空間(塩入すみ著、生活書院・2750円)
(2)ベトナム:ドイモイと権力(フイ・ドゥック著、中野亜里訳、めこん・5500円)
(3)増補 女が学者になるとき インドネシア研究奮闘記(倉沢愛子著、岩波現代文庫・1694円)

 現在「技能実習生」で最多を占めるのはベトナムの若者たちだそうだ。しかし彼らの目に映じる「日本」と同世代の日本の若者が描く観光イメージの「ベトナム」は異次元にある。(1)はそのすれ違いを聞き取り調査と理論的分析で捉えた好著。実習生の多い農業県熊本での調査から東京などとは異なる実習生と地元の関わりも見える。今年書評の機会を逃した大事な一冊。
 他方、日本の中高年世代の脳裏のベトナム像はいまもベトナム反戦運動盛期の感傷的な記憶のまま。それを鋭く戒めたのが今年惜しくも亡くなったベトナム研究者の中野亜里氏だった。(2)は遺著となった訳書。
 (3)の著者はインドネシア地域研究における草分け的な女性研究者。本書はその回顧録の増補版である。

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犬塚元(法政大学教授)

(1)批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く(北村紗衣著、ちくま新書・902円)
(2)チャリティの帝国 もうひとつのイギリス近現代史(金澤周作著、岩波新書・946円)
(3)いばらき原発県民投票 議会審議を検証する(佐藤嘉幸、徳田太郎編、読書人・1100円)

 新書やブックレットは、書評欄から漏れがち。今年の読書面で落としてはいけないはずの3冊を選んだ。
 (1)は、どんな種類であれテクストや作品を論じるなら、読んでおきたい一冊。読む、分析する、書くの実践的ノウハウを学べる。語りは愉快で鋭い。私の研究する思想史学でも、難解な方法論をあれこれ読む前にまずは本書を薦めたい。
 イギリス史を語る(2)は、自助・共助・チャリティ・公助からなる4層のセーフティーネットを描く。その光と影を論じたうえで、「イギリスを独特と見てしまう私たちの独特さ」も問う。
 (3)は、否決された県民投票条例案をめぐる記録。編者は、住民投票に至るプロセスの意義を強調。考えて語らうプロセスこそが「練られた民意」をつくるというのだ。

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江南亜美子(書評家)

(1)精霊に捕まって倒れる (アン・ファディマン著、忠平美幸、齋藤慎子訳、みすず書房・4400円)
(2)ウォーターダンサー(タナハシ・コーツ著、上岡伸雄訳、新潮クレスト・ブックス・3080円)
(3)死ぬまでに行きたい海(岸本佐知子著、スイッチ・パブリッシング・1980円)

 (1)多文化共生といっても乖離(かいり)したバックボーンの相互理解は容易ではない。てんかんを患う難民のモン族の少女に対し、アメリカの医療はどう介入しえたか。表題は、モン族のてんかんの理解に由来。従属させるだけでない異文化理解の難しさと人々の誠実な努力をスリリングに映し出す。
 (2)現代アメリカで顕在化する黒人差別の構造的問題を指摘してきたコーツの初小説作は、19世紀、アメリカ南部の黒人奴隷を北へ逃がす「地下鉄道」の組織が主題。若きハイラムの、命がけの抵抗と実母を始めとする女たちへの愛着を、マジカルかつリリカルに。
 (3)検索不可能な、極私的でささやかな記憶をめぐって紡がれた、岸本の名エッセー集。リアリティーの薄膜をはぎ、自己の不在性を想起させる。

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大矢博子(書評家)

(1)旅する練習(乗代雄介著、講談社・1705円)
(2)ヒロシマ・ボーイ(平原直美著、芹澤恵訳、小学館文庫・1034円)
(3)嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか(鈴木忠平著、文芸春秋・2090円)

 憂さは数々あれど、物語の世界に入り込む時間は至福。楽しみの中に衝撃を潜ませた3冊を選んだ。
 (1)コロナ禍を背景にした小説が多く出された中で印象に残った1冊。ラストの衝撃の後、もう一度最初から読み直す感慨は格別。
 (2)ナオミ・ヒラハラが名前を漢字表記に変えて刊行したシリーズ最終巻。日系2世で被爆者の主人公は著者の父がモデルだという。軽妙なコージーミステリの中に、戦後の日系アメリカ人のシビアな現実が浮かび上がる秀逸なシリーズだ。既刊の再刊・未訳分の刊行をぜひお願いしたい。
 (3)その「常識」に疑うべき点はないのか、自分はちゃんと自分で「考えて」いるかと問いかけてくる。野球ファンのみならず広く読まれてほしいノンフィクション。

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>朝日新聞書評委員の「今年の3点」②はこちら

>朝日新聞書評委員の「今年の3点」③はこちら

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