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65歳から“船を出す”情熱 たらちねジョン「海が走るエンドロール」(第129回)

 ヒロインのうみ子は65歳の未亡人。数十年ぶりに訪れた映画館で海(カイ)という映像専攻の美大生と出会った彼女は、自分の中に眠っていた「映画を撮りたい」という思いに気づき、やがて海と同じ美大に入学する――。「月刊ミステリーボニータ」(秋田書店)連載中の『海が走るエンドロール』(たらちねジョン)は、「このマンガがすごい!2022」(宝島社)オンナ編で、2位作品に2倍の点差をつけてぶっちぎりの第1位に輝いた話題作だ。

 担当編集者の「高齢の女性を主人公に」というアイデアと、「映画を軸にした話を作りたい」という作者の意向から生まれた作品らしい。ここ数年、『たそがれたかこ』(入江喜和)や『傘寿まり子』(おざわゆき)など中高年女性を主人公にしたマンガは増えていたが、本作は65歳のヒロインが気楽な「老後の趣味」ではなく、本気で映画制作を志して美大に入学することに強烈なインパクトがあり、多くの読者の心を動かした。

 映画を撮ろうとする学生を描いた作品といえば、例えばうみ子と同世代の細野不二彦(62歳)が1980年代前半に「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に発表した『あどりぶシネ倶楽部』があった。母校の慶応大がモデルと思われる帝王大学の映画研究会で8ミリ映画を撮る学生たちの青春群像劇だ。「ブルーフィルム」「門川(角川)映画」などの懐かしい言葉も含め、パステルカラーを思わせる80年代特有の空気が鮮やかに再現されている。知る人ぞ知る全1巻の小品だが、大学を舞台にした青春マンガとして時代を超える傑作と呼んでいいだろう。

 映画監督、小説家、ミュージシャン。昔も今も、若き日にアーティストにあこがれる人は少なくない。たいていの夢は三十路も過ぎればすっかり色あせて、やがて飲み屋で「いや、オレも若い頃はね」などと語る青春時代のいい思い出になってしまう。しかし、「大人」になってから夢を追ってはいけないのか? 人生100年時代などといわれ、還暦を過ぎてからの時間も長い。実際、赤松利市のように60代でデビューし、人気作家になる人だっている。

 タイトルや人物名からもわかるように、『海が走るエンドロール』で創作の世界は“広大な海”に象徴されている。大海原に船を出すのは爽快だが、海は決して安全な場所ではない。航海は孤独であり、どこにもたどり着けないまま遭難する可能性も大きい。しかし、その不安と恐怖を抱えつつも「海に出たい」という狂おしい情熱を持つ者が船を出すのだろう。本作を読んで、うみ子のように“波にさらわれる”人もいるかもしれない。

 唯一引っかかるのは70代に見えるうみ子の老けぶりだ。現在65歳(1956年生まれ)の有名人には浅田美代子、余貴美子、桑田佳祐などがいる。大学生の孫がいる人なんて珍しいだろうし、学生に面と向かって「おばあちゃん」と呼ばれるような年齢でもないと思うが。