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朝井リョウさん『正欲』×李琴峰さん『生を祝う』 生まれる意味や多様性めぐるもやもやに小説の出番 

朝井リョウさん(左)=新潮社提供、李琴峰さん(右)=朝日新聞出版・加藤夏子撮影

「多様性」めぐるもやもや、踏み込んで

 朝井 李さんの『生を祝う』は、「生の自己決定権」というキーワードで「殺意」と「産意」を結んだ考え方が発明的だと思いました。人を殺すのも、子どもを産んで生を押しつけるのも、「生の自己決定権」を侵害するという意味では同じだと。自分の中にありながらこれまでどういう言葉で表現すればいいか分からなかったことであり、かつ、人に話すのは少しためらわれることだったので、物語の土台を説明するパートでまず引き込まれました。

  「生の自己決定権」には、自分がなぜ生まれてきたのか、生まれ来る場所としてここは正しいのかという問いを込めました。生の根源に対する問いかけは昔から様々な哲学者がやってきたのですが、最近になってそれらの哲学と思想が「反出生主義」という名前をつけられ可視化されました。人間も動物の一種で、子孫を残す本能はどこかに残っているので、子をなすことに問題提起する「反出生主義」に対して「気持ち悪い!」と本能的な嫌悪感を抱く人も多いでしょう。うっすら感じたり思ったりしていても他者に対して言語化しづらいのは恐らくそのためです。だからこそ小説の出番かなと思ったわけですが。

 朝井 まさに小説というものの強みを感じました。生まれ来る場所としてこの世界は適切なのかという疑問は、私にとってもすごく身近な気持ちです。だけど、現実でこういう話をするのはなかなか難しい。この小説の中では、いろんな立場の人が自分の代わりに対話をしてくれている感じがしました。

  朝井さんの『正欲』を読んで良いなと思った点が「多様性」という言葉のもやもや感を具現化しているところでした。多様性という言葉は今、スローガン化していますが、そもそも誰から見た多様性なのか。多様性を尊重しようというのは耳ざわりが良く、みんな口にしているけれど、尊重しようとしまいと多様性はそこに存在する。スローガンになると、本当の意味を誰も考えなくなります。『正欲』はまさに、多くの人が考えたくないだろう多様性の側面をあぶりだしています。

 もう一つ、ポルノ規制について考えさせられました。人間の欲は多種多様で、どこに性的魅力を感じるのかも人それぞれ。ポルノ規制とは誰を基準にした論理なのか。法律は結局マジョリティ側を基準にして判断していますが、それは多様性という言葉と矛盾するのではないか。いろいろなもやもやを突きつけてきます。

 朝井 まずスローガン化については、身に染みて感じているところです。コロナ禍で「ステイホーム」という言葉がほぼスローガン化しました。当時の私は家にいればそのスローガンを達成できるんだと思ったわけですが、家庭ごみが増え、ごみ収集の方が大変な思いをされた。多様性を“認め”ましょうという動きの中で、最後の最後まで順番が回ってこない人がいます。大きい問題から解決していくしかないと思いつつ、何事も順番が最後になる人がいると感じながら書いた作品でした。

 李 その通りですよね。フェミニズムの歴史を振り返っても、最初は中産階級の白人女性の権利向上運動がなされて、それから黒人女性、よりマイノリティである同性愛者、トランスジェンダーの女性たちにスポットが当たる。それでも延々と順番が回ってこない人がたくさんいて、それを考えると胸が痛みます。

 朝井 『生を祝う』で、胎児の生存難易度を調べるという報告書が登場します。性的自己認識や性的指向が1から10の数字で書かれているのが、すごくいいなと思いました。性のあり方には法律上の性別、性自認、表現する性、性的指向の4種類あると聞いたことがあって、それぞれ10段階あるとしたら、性のあり方はとんでもない数になります。そこまでいけば「性のあり方864の人っておかしいよね」なんてことにはならない。

  そうですね。

 朝井 選択肢が1から2に増えると、何か良くないことが起きると危惧を感じる人がいるかもしれないけど、50から51に増える時は何も気にならなくなる。最近、慣れなのかな、と思うことが多いです。自分と違う人を認めよう理解しよう、より、自分と違う人だらけの世界に慣れる。

 李 慣れるって、本当にそうです。人間に限らずテクノロジーだってそう。孔子を現代に連れてきて飛行機を見せるとめっちゃびっくりすると思う。慣れればなんてことはないんですよね、テクノロジーも、人間のあり方も、同性婚や選択的夫婦別姓みたいな社会制度も。(構成・中村真理子)=朝日新聞2022年1月29日掲載