ISBN: 9784787292643
発売⽇: 2021/12/28
サイズ: 20cm/290p
「中野重治と朝鮮問題」 [著]廣瀬陽一
「自分で何をやつてきたかを知らぬものには、ひとから同じことをされてもそれがよくわからぬ」。日米安保体制下の従属的立場に、日本人が痛覚を感じないのはなぜか。植民地に対して「圧迫民族」だった過去の責任に無自覚だからだ。作家・中野重治は、1950年代にこう喝破した。
では「圧迫民族」が自らの権力欲を放棄して、対等な関係を作るために、中野は何をしたか。戦前、プロレタリア文学の旗手だった彼が朝鮮に言及した作品については、日韓で多くの研究がある。ところが朝鮮をめぐる諸問題への戦後の言動には、体系的な検討がない。在日朝鮮人の作家・金達寿(キム・ダルス)の評伝を持つ著者が、この面を詳細に掘り起こして中野像を刷新する。
たとえば自伝的小説「梨の花」では、韓国併合の強制的な実態を父から知った主人公の少年が、「朝鮮の王さまが気の毒」と感じる。この場面は、中野が朝鮮を意識した端緒とされるが、なぜ50年代に書かれたのかは見過ごされてきた。
そこには、冒頭に引いた問題意識があった。朝鮮総督府の官僚だった父と、その稼ぎで帝国大学へ進んだ自らの過去が、植民地支配への加担であることの「苦い自覚」が書き込まれた。
中野の朝鮮認識は、日本の共産主義運動を問い直す作業と連動して、さらに鋭さを増す。共産主義がうたった「民族的連帯」は、朝鮮人の主体性を捨象しながら、「搾取」を「自発的な提供と取り違える錯誤」が生んだ「神話」だった。戦後も、在日朝鮮人の日本語能力に依存し、朝鮮語を学ぼうとする日本人がどれだけいたか。中野は、厳しい自省とともに、共産党にも浸透する日本社会の「鈍感さ」を克服する途(みち)を、晩年まで探り続けた。
中野にして、まだこれだけの研究が可能であることに驚く。作品の分析に閉じず、一人の文学者の生涯をかけた模索を明らかにした本書は、文学・思想研究の醍醐(だいご)味を味わわせてくれる。
◇
ひろせ・よういち 1974年生まれ。日本近代文学、在日朝鮮人文学の研究者。著書に『金達寿とその時代』など。