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藤巻亮太の旅是好日 サンドウィッチマンの笑いで、私は私の日常へ

文・写真:藤巻亮太

 2019年のことである。友人からサンドウィッチマンのネタがとても面白いと薦めてもらった。もちろん国民的な人気者であるお二方のことは存じ上げていたが、しっかり見たのはこの時が初めてである。薦められるままに漫才やコントを見始めると、面白くて面白くてあっという間に虜になってしまった。今となっては過去のラジオ番組をポッドキャストや公式YouTubeで聴いたり、本編はもちろんであるが特典映像が見たくてDVDを購入したり、いわゆるファンになっている。当時を振り返るとサンドウィッチマンの笑いを必要としていたのかもしれない。

 以前エッセイにも書いたが、2019年はJ-WAVEの震災復興をテーマとした「HEART TO HEART」という番組のナビゲーターを務めていた。ひと月ごとに被災地を取材し、現地の方の想いやメッセージを伝えるお手伝いをさせていただいたのだが、東日本大震災から年月は経っていても復興の進み具合は様々で、インフラが整う景色を目にする一方、「心」の問題は何をもって復興とするのか、目に見えない難しさを感じた。私自身もどう受け止め、何を伝えたら良いのかと思い悩んでいた。

被災地と、私にとっての日常

 取材を終え帰宅すれば、私もまた日常生活に戻る。しかし物理的に体は被災地を離れたとしても、心はそうはいかない。目にした光景やインタビューに応えてくれた方々の言葉や表情が、帰宅後も心に蘇ってくる。被災地から戻ってきたらスパッと気持ちを切り替えるべきなのか、それともそれは薄情なことなのか。そんな問いが被災地を行き来する私の心を揺らしていた。被災地の状況を目の当たりにすれば、自分の力量そっちのけで何でも力になりたいという気持ちが湧いてくるのも自然なことであろうし、何よりも揺れ動く感情を静めるのは簡単なことではない。しかし気持ちを切り替えられなければ、自分ができること、できないことの境界線を見誤ってしまうことも事実である。

 取材を続けるうちに、私も普段の生活をおろそかにしてはいけないと思う気持ちが強くなった。「取材して伝える」という務めを果たすためにも、帰宅したら私は私の日常に戻ろう。そう気持ちを切り替えるよう心掛けた。すると違う方向から仕事への取り組み方が見えてきた。物事を伝えるためには一旦冷静にならなければならないし、何よりも伝えるには元気が必要である。その活力はどこからくるのかという根本に立ち返ると、私が私の日常を精一杯生きること以外になく、それこそが活力の源なのだ。

笑うって凄い

 どのような状況からでも、誰もがその人の日常に戻っていくことはとても大切なことではないだろうか。当時の私もニュートラルな状態に戻っていくために、サンドウィッチマンの「笑いの力」にとても助けられたのだ。被災地から帰宅して一人になった時など、ずっとサンドウィッチマンの漫才やコントを見ていた。「笑うって凄いな」と心から感じた。笑うと緊張が弛んでゆく。弛んだ時にスッと強張っていた心の力が抜け、私は日常に戻ることができた。そしてそこから、自分のできることをまた精一杯やっていこうという気持ちが湧いてきたのだ。

 誰もが社会の中でそれぞれの役割を担って生きている。自然な佇まいで役目を果たせる人もいるかもしれないが、多くの人は「素の自分」と「役割を担う自分」との間を行き来しながら日々を過ごしているのではないだろうか。役割を果たすことと同じように、ニュートラルな状態に戻ることも生きる上でとても大切なことである。そのためにお笑いを見たり音楽を聴いたり、自分の心地よいものに触れながら心を弛ませ和ませ、素の感覚の自分を確認してまた社会の中へ歩き出してゆく。そしてそこに人との繋がりを感じ、役割を担えることはとても尊いことではないだろうか。

 サンドウィッチマンは私たちにお笑いを届けてくれる一方、メディアに出る存在として東北の復興に尽力された方々であろう。そんな唯一無二の存在であるお二方だからこその人との距離の在り方は、とても真似ができない。ラジオ番組を書籍化した『サンドウィッチマンの東北魂 あの日、そしてこれから』を読むと、全体としては笑いに包まれているのだが、鋭い感性で人との心地よい間合いを見つける達人のような佇まいを感じる。

 我々はさまざまな人生観で生きている。どれほど近くにいる人でも、その想いにピタリと寄り添うことは叶わないかもしれないが、心地のよい距離感でお互い思いやりながらいることはできるかもしれない。そんなふうに生きられたら素敵だ。