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「歌うサル」 出会い 支えられ 羽ばたく研究 朝日新聞書評から

評者: 石原安野 / 朝⽇新聞掲載:2022年04月02日
歌うサル テナガザルにヒトのルーツをみる (共立スマートセレクション) 著者:井上 陽一 出版社:共立出版 ジャンル:生命科学・生物学

ISBN: 9784320009370
発売⽇: 2022/02/10
サイズ: 19cm/145p

「歌うサル」[著]井上陽一 [コーディネーター]岡ノ谷一夫

 人は歌う動物だ。小鳥も歌う、クジラやイルカも歌う。そしてテナガザルも歌うのだという。動物が歌っているのか、単に鳴いているのかは、連続する音のまとまりがあり、それが法則性のある順序の組み合わせを持つかどうかで区別する。人と同じように息を使い音声で歌う動物は少なく、類人猿で歌うのはテナガザルだけだ。つまり人に最も近い歌う動物がテナガザルである。
 動物の歌は「会話」のようなコミュニケーションの手段として発達してきたのであろうか。著者は、歌うということが他者との関わり合いの深さと関係があるのではないかと考察している。テナガザルは3匹ほどで構成される家族ごとになわばりがあり、そのなかで人生の大半を過ごす。家族以外と出くわすことの少ない狭いコミュニティーが、テナガザルに歌うという行動をさせるようになったのだろうか。
 こうした研究の進展にも心を惹(ひ)かれるのだが、本書にはもう一つのおおきな魅力がある。
 まず描かれているのは著者と研究対象との邂逅(かいこう)である。研究者にとっては、これだと信じられる研究テーマとの出会いというのは、何よりも幸せな出来事である。本書は、高校の地学の教員としてすでに十分なキャリアを積んでいた著者が春休みの旅行にボルネオを偶然選び、そこでテナガザルの歌声にやられてしまったところから始まる。
 編み出した研究手法もユニークだ。夜明け前、サルの「朝の歌」が聞こえるや否やジャングルをものともせずに駆けつける。あとはサルが寝るまでひたすら木の上のサルを見ながら追いかける。グルーミングや遊び、そして食事。テナガザルが歌を歌うその理由を知りたいがためその前後の行動を詳細に記録する。このために20年もマラソンのサブフォー(4時間以内の完走)をキープしているといわれれば感服するしかない。
 本書は故小柴昌俊氏に捧げられている。氏がノーベル賞の賞金を基に創設した財団から「夢を大切に」という言葉と共に研究補助を受け、研究の励みになったからだそうだ。また、異色の研究者といえる著者をメンバーとして分け隔てなく受け入れる研究室の存在も見えてくる。本書を読むとテーマに対する好奇心、支える環境、そして本人の意思がそろったとき、研究は羽ばたくということがよくわかる。
 付録でテナガザルの動画のURLが紹介されている。その歌声を聞きながら、研究に対する素直な喜びを思い出した。研究テーマとの出会いに遅すぎるということはない。
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いのうえ・よういち 1953年生まれ。京都府立高校の農業科、理科(地学)教諭を経て、理化学研究所研究嘱託。専門は動物行動学▽おかのや・かずお 1959年生まれ。帝京大教授、東京大客員教授(生物心理学)。