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藤巻亮太の旅是好日 日常に「すこしの不思議」が舞い降りたら

文・写真:藤巻亮太

ドラえもんの世界へ

 川崎市にある小田急線の向ヶ丘遊園駅とJR宿河原駅の近くの藤子・F・不二雄ミュージアムに行ったのは、春先のことだ。多摩川を渡ると、やや起伏のある地形に街並みが変わる。坂道が増え、丘を縫うように幹線道路が走り住宅地が広がる。ミュージアムは生田緑地を背にするように立っており、都心から少し離れていることもあって森の香りがし、虫の鳴き声が聞こえる。まるでドラえもんの世界に描かれている裏山のような景色だ。

 ミュージアムは藤子・F・不二雄先生の世界観を大切にされている。「オバケのQ太郎」や「ドラえもん」に「パーマン」「キテレツ大百科」など、私が幼いころによく見ていたテレビ番組のキャラクターたちに出会うたびに、懐かしい記憶がよみがえる。夢中になってガチャガチャで遊んでみたり、富山県出身の藤子F先生にちなんで富山ブラックラーメンや、ドラえもんの似顔絵に盛り付けられたカレーをレストランで食べたり、随所に散りばめられた遊び心に、こちらもあっという間に童心に帰る。

情熱と愛情が染み込んだ書斎

 貴重な原画や展示物、シアターなど一通り観覧した中で私がもっとも心を奪われたのは、藤子F先生の書斎だった。机に向かって来る日も来る日も物語を創作し、漫画を描き続けてきた藤子F先生の情熱と愛情がたっぷり染み込んだその書斎は、痺れるほどカッコよかった。

 子どもの頃だったらキャラクターの展示にばかり気が向いていたであろうが、幼い私を夢中にさせてくれた作品たちが生まれた仕事場の空気感に触れ、使い込まれた仕事道具などを見ていると、自然とものづくりに対する敬意が込み上げてきた。机に置かれた恐竜の模型やサーベルタイガーの頭蓋骨、壁にかけられた絵画、膨大な書籍を眺めながら、こんな空気感に包まれて仕事ができたら素敵だろうなと夢が広がった。

藤子・F・不二雄のSF

 SFとはサイエンスフィクションの略だが、藤子F先生にとってのSFは「すこし不思議」な世界であるという。とても洒落ていて遊び心があり、藤子F先生ワールドを象徴するフレーズだと感じる。物語の中で登場人物たちの日常にすこしの不思議が舞い降り、転がり込み、襲ってきて物語が躍動する。そこに合理性がある必要など全くないのだが、不思議過ぎてしまうと読者もついていけないので、この「すこし不思議」の「すこし」の匙加減がきっと大切なのであろう。

 私たちは様々な経験を積みながら合理的な思考ができるようになっていくし、日々を滞りなく暮らしてゆくためには必要な能力だ。しかし目の前で起こっている物事を「これはこういう原因があってこういう結果になっているので、何も不思議なことはない」などと経験的に処理してばかりいたら、瑞々しい発想や本当に面白い物語は生まれてこないのではないか。

 もっと先生の世界観に触れてみたいと、ショップで本を買って帰った。『少年SF短編集』である。この本の中に、好きな作品がある。家庭の事情で高校進学をあきらめざるを得ない主人公と、余命いくばくかの老化学者との「未来ドロボウ」という物語だ。すこし不思議な体験を経て、登場人物はちょっと大人になったり、何かを学んだり、あるいは悟ったりする。短い物語がずっしり胸に響いた。これぞ藤子・F・不二雄先生のSF「すこし不思議」な世界なのだと余韻に浸っている。