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コーダ(CODA) 親への愛と葛藤、居場所どこ 小説家・丸山正樹

「コーダ あいのうた」©2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS 公開中

 映画「コーダ あいのうた」が米アカデミー賞で作品賞を受賞したことで、「コーダ」についても世間にかなり知られてきたようだ。コーダ(CODA)とは、Children of Deaf Adult/sの略で、「聞こえない親を持つ聞こえる子供」のこと。1980年代に米国で生まれた言葉で、両親とも聞こえない場合だけでなくどちらか一方だけでも、また親がろう者でも難聴者でもその子供はコーダとされる。

 私は、「コーダで手話通訳士」の男性を主人公にした『デフ・ヴォイス』(文春文庫・770円)というミステリー小説でデビューした。執筆のキッカケこそ木村晴美著『日本手話とろう文化』(生活書院・1980円)などで「ろう者」や「日本手話」と出会い深い感銘を受けたことにあったが、「コーダ」の存在を知ることがなければあのような小説にはならなかったはずだ。

 執筆した十数年前には、入手可能なコーダについての本は数冊しかなかったが、ここ数年の間で、主に当事者による著作が格段に増えた。国内の当事者団体である「J―CODA」の活動の影響も大きい。

体験を詳らかに

 一口に「コーダ」と言っても、実は様々だ。五十嵐大著『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』では、著者と「聞こえない母親」との関係を軸に、思春期の頃は「障害者」である親を疎んじる気持ちがあったり、手話を敬遠したりしていたことや、それらへの後悔や自責の念など、複雑な心理が描かれている。自らの体験を詳(つまび)らかにすることで身近な現実だと知ってもらいたい。その著者の思いは、あとがきの〈マイノリティとマジョリティの間に横たわる分断は、「知らないこと」によって生まれるからだ〉という一文に込められている。

 『きらめく拍手の音』の著者であるイギル・ボラもコーダだ。前述の五十嵐氏とは異なり、彼女は幼少の頃から手話を自然に習得した。親との葛藤についても触れられているが、それ以上に著者が「聞こえない世界」を慈しむ視線が感動的だ。

 〈私は、手で話し、愛し、悲しむ人たちの世界が特別なんだと思ってきた〉〈口の言葉の代わりに手の言葉を使うことが〉〈しかし、誰もそれを「美しい」とは言わなかった〉。タイトルの「きらめく拍手」とは、両手を上げてひらひらさせる手話のこと。この「拍手」は、親だけでなくろう者の世界、彼らの言語である「手話」へと向けられているのだろう。

私だけ聞こえる

 コーダは「家族の中で自分だけが聞こえる」場合があり、幼い頃から「親と世間」の通訳(買い物や外食の場だけでなく、親に代わって電話の応答をしたり、学校からの通信文の代筆なども)を担うことが多く、ヤングケアラー(本来は大人が担うと想定されている家族の世話などを日常的に行っている子供のこと)となる。『ヤングケアラー わたしの語り』(澁谷智子編)の第5章、遠藤しおみさんによる「耳の聞こえない両親と聞こえる私」は、まさにそういう話だ。「この子は聞こえるから大丈夫」と、「親に守ってもらったことなんか一度もなかった」彼女が、「聞こえない世界」と「聞こえる世界」とは別の「コーダの世界」があることを発見した時の喜び、しかしそれは同時に、ろう者(親)にも聴者(聞こえる人)にも理解されない孤独な世界だと知った時の悲しみが率直に語られている。

 置かれた状況はそれぞれ違うが、どの本も聞こえない親への感謝と「コーダという言葉に出会い、自分もその一人だと知ったことで居場所を見つけた」と綴(つづ)られているのが印象的だ。=朝日新聞2022年6月25日掲載