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「カレーの時間」書評 嚙み合わぬ同居 忘れない味に

評者: 藤田香織 / 朝⽇新聞掲載:2022年07月09日
カレーの時間 著者:寺地 はるな 出版社:実業之日本社 ジャンル:小説

ISBN: 9784408538068
発売⽇: 2022/06/08
サイズ: 19cm/296p

「カレーの時間」 [著]寺地はるな

 国民食とも呼ばれる人気料理を囲んだ「食卓」の記憶が思い出される物語だ。
 何事にも失敗したくないと、ローリスクローリターンを願い生きる二十五歳の佐野桐矢(きりや)は、抗(あらが)いきれぬ成り行きで八十三歳になる母方の祖父・小山田義景と同居することになった。
 長年、祖父がひとりで住んでいた一戸建ては掃除が行き届いておらず、義景自身も口が悪く、がさつで横暴かつ無神経。繊細で潔癖気味な桐矢にとっては、何もかも我慢できない状況だったが、微妙な距離感のふたり暮らしは続いていく。
 義景は桐矢の母親が九歳の時に妻と離婚。突然、母を失った娘たちは、父を恨み、反発しながら成長し、やがて三姉妹そろって娘を産んだ。桐矢にとっての母と姉、ふたりの伯母と従姉(いとこ)たちは仲が良く、揃(そろ)って女性蔑視と男尊女卑の権化のような義景を嫌っている。
 それはいったい何故(なぜ)なのか。桐矢の視点で嚙(か)み合わぬ同居生活を描く一方、終戦直後からの義景の半生も追っていく。親戚の家をたらいまわしにされ常に腹をすかせていた幼い頃から、大阪の食品会社に就職し、懸命に働いた日々。結婚し次々と娘が生まれ、育ち、けれど埋まることがなかった妻との距離。やがて、長い長い歳月、義景がある「秘密」をひとりで抱えてきたことが判明するが、その理由を「女は弱いからや」と桐矢に言う。「男は女を守らなあかんねん」と。
 高度成長期と呼ばれた時代、義景が営業として懸命に売り込んだ商品は、当時発売されて間もなかったレトルトカレーだ。カレーは大鍋で作るのがあたり前だったころ、割高な一人前のパックを売る苦労には、驚きと発見がある。一方、同居生活で、桐矢が作る各種アレンジ&オリジナルカレーはすぐにでも真似(まね)したくなるほど美味(おい)しそうだ。
 「いいおじいさん」や「いい男」の話ではない。複雑な味わいの物語である。けれどきっと、忘れられない味になる。
    ◇
てらち・はるな 1977年生まれ。2015年、『ビオレタ』でデビュー。著書に『わたしの良い子』『水を縫う』など。