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「ヤバい神」 残された矛盾 文脈から解明 朝日新聞書評から

評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2022年07月16日
ヤバい神 不都合な記事による旧約聖書入門 著者:トーマス・レーマー 出版社:新教出版社 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784400119081
発売⽇: 2022/03/25
サイズ: 19cm/252p

「ヤバい神」 [著]トーマス・レーマー

 本書は、旧約聖書(ヘブライ語聖書)への読書案内であり、「ヤバい神」とは、そこにあらわれる神のことである。私は中学生の時、初めて冒頭の「創世記」を読んで驚いた。そこに描かれた神は、「政治的正しさ」からはほど遠かったからだ。本書の原題の直訳は「わかりにくい神」だが、「ヤバい」という訳語は的確だと思う。
 ヤバさの有名な例に、アブラハム物語がある。神は、高齢のアブラハムに息子イサクを授けるが、アブラハムの信仰を試す「試練」として、幼いイサクを生贄(いけにえ)に献(ささ)げるよう命じる。アブラハムは命令に従おうとするが、その信仰を認めた神が止め、イサクは助かる。この不条理な物語に対し、哲学者カントは、アブラハムはそのような非道徳的な命令を下す者が神であるはずがないと答えるべきだったと述べた。一方キルケゴールは、アブラハムの信仰を讃(たた)えた。この物語は、数多い例の一つに過ぎない。たとえば、神はいやがるモーセを無理やり指導者とした上、理由もなく殺そうとした。ユダヤ教もキリスト教も、そうした箇所を説明するのに苦慮してきた。旧約聖書を斥(しりぞ)けるキリスト教の教派もある。
 旧約聖書を分かりにくくしているのは、神の性格だけではない。そこには、2千年にわたるイスラエル民族と神の物語のみならず、古代オリエントの歴史、神話、法、詩歌、預言、論争などの多様なものが収められている。また聖書は、長い時間をかけて、相異なる文化圏・立場にある複数の著者・編者の手を幾重にも経て出来上がった。その記述は必ずしも整合的でなく、矛盾も多い。神についても、戦争の神、王や父、また嫉妬深い夫、憐(あわ)れみ深い母性的な存在としても描かれる。神は、「唯一」だとされることもあれば、他の神々の存在が語られる箇所もある。真っ向から対立する見解もある。民族にとって恥となるような出来事も赤裸々に語られ、偉人たちの逸話にも問題が多い。預言者エリシャは、「はげ頭」と子供たちにからかわれて怒り、神の名においてその42人を呪い殺した。
 つまり、聖書の著者・編者たちは、矛盾や不都合な記述を、あえて残したのである。本書の著者は、その文脈を説明することで不可解さを解こうとするが、同時に不可解さこそが魅力であると示唆する。そして、それを支えているのは、ヤバい外見の奥にある、神の正義への信頼だと。確かに、常識では計れないところが、物議をかもしながらも、旧約聖書が長く人を惹(ひ)きつけ読み継がれてきた所以(ゆえん)なのだろう。
    ◇
Thomas Römer 1955年、ドイツ・マンハイム生まれ。コレージュ・ド・フランス教授、「聖書とその文脈」講座担当。学長も務める。著書に『モーセの生涯』『申命記史書 旧約聖書の歴史書の成立』など。