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フルポン村上の俳句修行 超結社句会で宗教戦争勃発!?

 「内部的なストロングスタイルの会のため、断られるかもしれません」。沼句会に取材を打診すると、そんなつれない返事が――。しかしほどなくして、幹事の安里琉太さんから「ぜひ」という連絡をもらいました。

 「あまりお互いの顔色をうかがわず、俳句のよさを目指しているので、ある意味では選が厳しくなっている句会かもしれません(笑)。いろんな立場からの批評が出ることによって、そういう観点もあるのか、と自分の句が変わっていく感じはとてもよくありますし、そういう有益な場であってほしいなというのが僕の個人的な希望でもあります」

沼句会を主催する安里琉太さん

 沼句会は3年ほど前、安里さんが気心の知れたメンバーに声をかけていた不定期の句会に、暫定的に名前を付けたことから生まれた句会です。今のメンバーに固定されてからは1年ほどが経っていて、月1回オンラインで開かれています。高校2年生のとき、知人に誘われて俳句甲子園に出たことがきっかけで俳句を始めたという安里さん。俳句にある余白をみんなで読み合うところがおもしろくてその魅力にはまり、「ディベートがおもしろくなってくると俳句もおもしろくなって」、11年ほど続けていると話します。

 「(俳句を)書くときは、それなりにできあがっている句でも、おもしろく思えないものは捨てるようにしています。言葉って伝達の手段といえばそうなんだけど、それ以上の何かであってほしいなと思っていて。一つのものをただ写生しているだけなんだけど、そうじゃない奥行きが立ち現れてきたり、ほかのものを連想させたり、まだ言葉になっていない感覚を思わせたり。評がうまい人でもうまくほかの言葉に言い換えて評することが難しい句があって、それを成功の指標の一つと考えています」

結婚を祝して、入り江にクラゲ

 当季雑詠で8句提出し、5句の選句を済ませた状態で、7月22日午後8時に沼句会がスタートしました。参加したのは村上さん、安里さんをはじめとした10人。そのうちの一人、柳元佑太さんが「23歳で、この句会の中だと平野(皓大)くんと僕が一番若い」と自己紹介すると、20歳の大学生・大熊光汰さんが否定して笑いに包まれ、緊張した雰囲気がほぐれます。この日、最高の5点を獲得したのは、この若者3人でした。

【5点句】
暮らしつつ径を覚えて河鹿笛 平野皓大
肩車とは闇のうへ花火鳴る 大熊光汰
婚禮や水母が灣(いりうみ)を充足(みた)し 柳元佑太

 「婚禮(こんれい)」の句は、この1週間前に結婚披露宴を行ったばかりの安里さんへ向けた句でした。

大熊:「充足」に「みたし」ってルビを振られたときに、一瞬クラゲに埋め尽くされた入り江を幻視するのがおもしろいなと思って。それが結婚の華やかさなのかもしれないし、気持ち悪さもあって、結婚に対する不安なのかもしれません。

青本瑞季:私は「充足(みたし)」のルビに乗れなくて、ふつうに「満」でよくない? って思いました。

安里:このルビは乗れる乗れないが分かれるところかなと思います。婚礼だから一般には昼とか夕の景かな。夜だとクラゲが見えるのかとかも気になってくる。クラゲの字を「海月」ってすると「月」の字が夜と触って、またいろいろうるさいかなとも思う。

福田若之:クラゲが入り海を満たすと漁ができなくなる、っていうことを僕なんかは思ってしまって。婚礼で祝っている場合か? って(笑)。充足の当て字が成功してるのかも怪しいというのが正直な感想でした。

村上:クラゲって水槽で見るとめちゃくちゃきれいなだけの存在だけど、海にいると害のイメージ。それが結婚式っていう囲いをつければ美しいにしかならない、っていう風にも考えられるなぁと思って、すばらしいなと思いました。

柳元(作者):生き物が押し寄せてくるっていうのは、それだけで寿ぎの気持ちを強く持つんですけど、確かに人間からしたら迷惑だし、怖いなっていうことを改めて思ってですね。あいさつ句に不穏な影がちらつくっていうのはよくない気がしてきました。ご結婚おめでとうございます。

安里:ありがとうございます!

記号を使うのは努力不足?

【3点句】
夏の夜の海の底(そこひ)を貝の徒步(かち) 柳元佑太
息だつた虹を着流す千々の花樹 青本瑞季
訛りつつ峰雲が手の上にあり 永山智郎
ところてん越しに鳥居の丹が翳る 福田若之

 2点句には、「・」で単語を区切った生駒大祐さんのチャレンジングな2句「細い煙草・その癖やめなよ・蜩」「寝室で髪を切る・幻想・鶉」がありました。言葉の並べ方がおもしろいという評の一方で、記号を使うことの是非が話題になりました。

小野あらた:私は句の中に記号を入れるのは禁止教です。

村上:句読点もですか?

小野:句読点も嫌なんですよ。句読点を入れないと通じないのは努力不足だ、っていう戒律の下に生きてるんで。

村上:なるほど。僕も基本は入れないってスタンスなんですけど、入れない前提の下で入ってるから意味がある、ってとらえ方に戻ってくる。

青本:最終的にそれがおもしろいか、ってところに帰着するんですけどね。句読点の場合はよほど工夫して使わないと散文っぽくなるというのもありますね。

何が俳句性を担保するのか

 これ以上に議論が白熱したのは、青本瑞季さんの2点句「薄墨に吹かれて玻璃のみやこへ帆」でした。

安里:「薄墨に吹かれて」はそんなになんですが、「玻璃のみやこへ帆」にかなり可能性があるんじゃないかなと思って、(特選に)いただいた感じです。

柳元:これは無季として成立しているんですよね? 句の中心点の作り方が有季と同じな気がしていて。無季でこなすことのメリットをあまり感じないというか、「玻璃のみやこへ帆」は「玻璃」っていう象徴的なものが入って成り立っている感じがするので、有季っぽく見えるというか。もうひと踏ん張りしないと厳しいんじゃないかなと思ったんですけど。

安里:僕はその辺ドライなので、有季の作り方の対立項が無季の作り方という考えではなく、無季の作り方の中で結果無季がそういう作り方に至るってことはあるかな、という考え方で。「玻璃のみやこへ帆」が一句の軸になっているとは思うんですが、ここには季語の働きとは違うところがあって。「じゃあ何が俳句性を担保するのか」っていう話になると、またくさいところに話が向かいますけれど・・・・・・。

青本:詩として立っているかが問題なのであって、無季だから無季の書き方をしなければならないのではない。でも季語を中心として作るという前提が広く共有されている以上、季語に代わるフックを用意しないと句としてきついよね、っていうのは感じますね。

柳元:だから季語に代わるフックとして詩語を入れた時に、それが言葉の力として季語と同じようなものだったときに、そんなにおもしろみがないなと。

福田:引っ掻き回してもいいですか(笑)。思ったのは、下五だけでもう一句になってるんじゃないかなって。「みやこへ帆」ってすごくいいフレーズだなぁと思って、それだけで相当いいかも。むしろ上がゴテゴテしてるなって思うんですよ。

青本:でも「みやこへ帆」だけだと結構ベタな叙情じゃないですか。

柳元:「玻璃のみやこへ帆」も僕は結構モダニズムだと思いますけどね。最近割とモダニズム再評価っていうのがある気がしていて、それに関してはちゃんと一周回った詰め方をしていかないとなという警戒心は若干あり、だから「玻璃のみやこへ帆」にみなさんほど乗れていないのかな、というのはあります。

小野:無季とか有季とか表現がって、宗教戦争ってこうやって始まっていくのかなと思ってたんですけど(笑)。相変わらずそういう戦争が始まるのがこの句会ぽいなと思って聞いておりました。

安里:笑いづらいコメントをありがとうございます。

青本:この句会のいいところって、宗派の違う人たちが集まっているところだと思うので、小野さんは宗教戦争とおっしゃいましたけど、そこで議論が起きて広がっていくっていうのを村上さんにお見せできてよかったです。

 終始圧倒されていた村上さんは、「とんでもなく大変なことに俺が参加しているというのを、みんな(読者)に見てほしい! 句会を1回配信してほしい!」とややお手上げ気味の様子でした。「少し気を抜いたらもう取り残されて、何を言ってるかわからなくなるときがある。僕の理解のスピードよりも、みなさんのしゃべりの方が早いっていう。このスピードで、この読みが出てくるのは本当にすごい」

 それでも「海の街の日記や割れているトマト」で2点、「かき氷百円玉に生まれ年」「日盛のコインロッカーびゃんと閉め」でそれぞれ1点を獲得し、爪痕を残しました。「1句の解釈とか定義とか、中心に置くべきものっていう価値観がみなさん違って、でもそれをおもしろがっていて、すごくいい会を聞けたなと思いました。ありがとうございました!」

村上さんの提出8句

海の街の日記や割れているトマト
かき氷百円玉に生まれ年
日盛のコインロッカーびゃんと閉め
冷房やカッター沈みゆくギプス
風鈴やぎぎぎとざるの蕎麦集む
約束はメールに遺り蝉時雨
噴水に残せぬものとして歯型
駅弁を四角く食うて夏の果

【俳句修行は来月に続きます!】