5人の大統領の実像など、貴重な仏現代史
山口さんは90年から産経新聞パリ支局に駐在し、2011年の退職まで特派員を務め、現在もパリ在住。94年にはボーン・上田記念国際記者賞を受賞している。
執筆に至る経緯を「20年もパリ特派員をやった人はいないと依頼があった。政治家でも作家でもない一介の記者の日記に価値があるのか。責任重大で荷が重いと思いつつ依頼に応じました」と控えめに振り返る。
膨大な記事の取材ノートや手帳を傍らに執筆作業に入ると、ほどなく400字詰め原稿用紙で2千枚に達した。1冊の予定が全5巻になった。昨年9月、12月、今年3月、5月と第1~4巻が刊行されている。
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ページをめくると、そこかしこで現代史の重要場面に行き当たる。
90年夏に始まった湾岸危機に際し、フランスは激論の末、多国籍軍に参加する。ミッテランは国連常任理事国の責務を果たす、国益と大国の地位を守るという2点を語ったという。「旧宗主国として、旧植民地やアラブ系移民の感情や報復テロに配慮し、最後まで和平工作を探っていました」
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ロシア軍のウクライナ侵攻をめぐる外交的展開は、08年のジョージア(グルジア)侵攻に似ているというのが山口さんの見方だ。マクロンがそうしたように当時はサルコジが両国を訪問し、外交的解決を模索したものの実らなかった。
「ロシアは当時から冷戦の敗者に甘んじておらず、領土への野心を隠さなかった。戦争は突然起きたのではない。ずっと昔からの歴史と地続きです」
歴代大統領の実像も間近で目にした。「シラクは知日派・親日派だが中国への関心を優先することも。ハンガリー移民2世のサルコジは上昇志向が反発を呼んだ」。では、長い取材経験がある山口さんの目に、マクロンの2期目はどう映るのか。
「黄色いベスト運動とコロナ禍への対応に追われた1期目よりも前途多難。国民議会で少数与党になり、年金や医療、定年制の改革が可能かどうか」
取材対象に食い込むこつを聞くと「文学少女だったのでサルトル、カミュ、ボードレールの話題を出すと雑談が弾みました」。文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースなど名だたる知識人の取材も重ねた。
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95年の阪神淡路大震災の際には、なじみのパン屋さんに「家族は大丈夫か」と声をかけられた。11年の東日本大震災では、近所の顔見知りがハグしてくれた。自由・平等・博愛というフランスの精神における博愛、つまりソリダリテ(連帯)の精神を感じたという。
「普段は日常のあいさつ程度。無関心で冷たそうに見えるパリジャンもいざという時の危機管理なのか、見ていないようで見ているし、用心深いようで動くときは動くんだなと感じた」
97年に英国のダイアナ元妃が事故死し、15年にはテロが続発。エアコンが普及し、排ガス規制や自転車のレーンが設けられるなど、パリの街が様変わりする過程を目にしてきた。
フランスの国際的地位の低下は否めない。「でも、フランスはファッションやグルメだけの『やわな国』ではない。国連常任理事国で欧州の主要国。核保有国で原発大国。日本と同様、移民やテロ、環境問題などに直面する先進国です」
オランドとマクロンの時代(11年~)を記した第5巻は、年内刊行を予定している。(大内悟史)=朝日新聞2022年9月14日掲載