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湯本香樹実さん「橋の上で」インタビュー 「その夜」を越すために

©Sakai Komako

「生きのびるためのこと」を絵本に

――講談社出版文化賞絵本賞など数々の賞を受賞し、20万部のロングセラーとなった『くまとやまねこ』(河出書房新社、2008年刊)への反響から、今作『橋の上で』を構想したそうですね。『くまとやまねこ』以来14年ぶりに酒井駒子さんとコンビを組んでいますが、どのような経緯で生まれたのでしょうか。

 前作の、最愛の友だち・ことりを突然亡くしたくまの物語『くまとやまねこ』をたくさんの方に読んでいただきました。かつて自分もくまのように閉じこもっていたという方や、今まさに家族や友人が悲しみの渦中にいるという方からの感想やお手紙が少なからずありました。自殺防止活動をしている方からの励ましの言葉も忘れられないです。

 そうした反響に接するうちに、なぜ、暗くしめきった部屋にひとり閉じこもっていたくまが、あるお天気のいい日に再び外へ出ていくことができたのか、そこを書かなくては、という気持ちが徐々に生まれたんです。

 ちょうど2000年代は自殺者数が増え、私の身近なところでもそんな選択をした方が何人かいました。なぜ、といくら考えても答えは出ない。でも大人は抱えている問題も状況も様々で一括りにはできないけれど、子どもの自殺はもっと止められるはずだと思いました。

 なぜならするどい悲しみに囚われた子どもは、幼い分、大人以上にまっすぐ死の方向を向いて目を逸らせなくなる危険性が高いと思うのです。そんな危機に瀕したときこそ、培っていた想像力やものごとの捉え方が大きく作用して、生きのびることができるかもしれない。一冊の絵本が唯一かつ決定的な処方箋になることはあり得ないけれど、自分はこうやって今まで生きてきた、ということなら表現できるのではないか。そう考えて生まれたのがこの作品です。

©Sakai Komako

――『橋の上で』では、ぼくが盗んでない本を盗んだと言われたり、上着を隠されたりして傷つき「いまここから、とびこんだら――」と川を見つめる姿に目を離せなくなります。雪柄のセーターのおじさんに話しかけられ、言葉を交わすことで、ぼくは家に帰ることができますね。

 私自身も子どものときに橋の上から川を見ていた経験があって、そのときの非常に研ぎ澄まされた感覚をよく覚えています。私の場合、ある大人との関わりにおいて「消えてしまいたい」と思うほど追いつめられた状況が生まれてしまったのですが……。

 今回、酒井さんが描いてくださった絵を見て、「私はあのときの私に、おじさんになって話しかけたかったんだな」と思いました。私の場合は雪柄のセーターのおじさんは実際には現れなかったけれど、心のなかに、自分を生かそうとする力がはたらいてくれた。そのような力をもたらしてくれた様々な記憶や存在の象徴として、あのおじさんは登場しているんです。

心のなかできれいな泉とつながる

――へんなおじさんだと思いながら、ぼくはおじさんに言われるままに、ぼくのなかにあるみずうみとつながる水路や、ぼくの体を水がくまなくめぐる様を想像します。耳をぎゅうっとふさいで、遠いところからやってくる水音に耳を傾けます。

 ちょっと複雑な話になりますが、私は小学校に上がる前のまだ泳げないときに、深い川に落ちたことがあります。あやまって落ちたのではなく、見知らぬ年上の子に誘われるまま川縁に立たされ、背中を突かれて。落ちた瞬間、どうすべきか考えたことや、そのとき見えた風景、「大変だ」という表情で助けに来た大人の姿を鮮明に覚えています。

 なぜ通りすがりの子に「落としてやろう」と自分が思われてしまったのか、それはわからなかった。外の世界には理不尽な悪意が存在するのだということを突きつけられ、ただ恐ろしかったです。でもすこし時間が経つと、本能的に手足を動かしてなんとか生きのびられたという小さな自信みたいなものも生まれていたんです。

©Sakai Komako

 そのときから、なかなか寝つけないと、私はある想像をするようになりました。布団にくっついている自分の体から、家の下の方までずーっと伸びる水路のようなものがあって、それは遠いところできれいな泉につながっている。泉から水路をとおって何か送られてくるのを、自分は受け取っているのだというイメージです。うまく集中できると不安感が消えて眠りにつくことができました。

 川は初めて他者や自分と向き合った怖い場所であると同時に、生への自信を感じた不思議な場所。だからこのテーマを考えたとき、川からはじめようと思いました。

――雪柄のセーターのおじさんがぼくに語ったことは、湯本さんが眠るためのひとつの方法だったのですね。

 外の世界で理不尽なことや葛藤があって、苦しむことは誰しもあると思うのです。そういうときに自分を信じるって難しいですよね。でも自分のなかにある世界、それは自分の内側であると同時に外の世界からもたらされた言葉やイメージでできているので、自分の内面の感情そのものとは、ちょっと距離がある。そのちょっとの距離が、心の風通しをよくしたり、自分をすこし客観的に見つめてみる余裕みたいなものをもたらしてくれるのではないか。私にはそういう実感があります。

 疲弊したとき、胸がざわついて寝つけないときに、そういう世界に潜っていって自分だけのみずうみを感じることができたら、とりあえずその夜は越せるんじゃないかと思っているのです。

自由に心を遊ばせる絵本だからこそ

――小説も書かれる湯本さんですが、今回のテーマを絵本にするか小説にするかと迷われませんでしたか。また、構想中から絵は酒井さんにお願いしようと思っていたのでしょうか。

 私にとって1行目を書いた瞬間から絵本は絵本、小説は小説なので、今回もどちらにしようかと迷うことはなく自然に決まっていました。

 小説を読む楽しさと、絵本を読む喜びはまったく違うと、一読者としても感じています。「今はどうしても絵本を読みたい」というときがありますよね。絵本はページをめくりながら、自由に心を遊ばせることができる。『橋の上で』も、想像したり、考えたり、ぼんやりしたり、ある1ページだけながめたり、様々な読み方をしていただけたらと思います。

 絵をどなたが描いてくださるかは、まったく決まっていませんでした。正直に言えば、長いこと構想を抱えている間に酒井さんの絵でイメージしてしまってはいたのですが(笑)。でも実際に酒井さんがお引き受けくださり、絵が上がってきたとき、本当に心を揺さぶられました。私が書くときイメージしていたものは、あくまでもダミーで、実際それが頭に浮かばないと絵本のテキストは書けないんですけど、ダミーはダミーにすぎないので、出来上がった酒井さんの絵を前にしたとたん、すぐに蒸発してしまいました。

――特に好きな場面はありますか。

 好きな絵はいくつもあります。いちばんすごいと思ったのは、水辺の風景。何度見ても、ページをめくるたびに、みずみずしく、明るく開けた情景にはっとします。空気が澄み切っているのがわかる光の色。みずうみの周りにいろんな人が集っていて、顔が見えるような、見えないような……。目を凝らしながらだんだん気持ちが安らいでいく……。私が心のなかで見ていた風景そのものです。

 もうひとつ好きなのは、ぼくが家に帰ってきたところ。外は暗く、お母さんが「おかえり」と言った家の中は電気がついていて、暗がりと光の間にぼくがいる。頬にはほんのわずかに血の気がさして、さっき橋の上で暗い川の流れを見ていた彼とはあきらかに違う。でも、橋の上の彼も、帰ってきた今の彼も、どちらももう昨日までの彼とはたぶん違うんです。誰にも侵すことのできない自分の世界を、彼はこれから築きはじめる。それが、この1枚に表されているようでとても好きな絵です。

――雪柄のセーターのおじさんの描写はいかがでしたか。

 「雪柄」は自然にそう書いていた、としか言いようがないんですが、子どもに上からものを教える、という感じの人でないことは確かですよね。とても古くて何年も脱いだことのないような雪柄のセーターを着たおじさん、とだけ文章で書いていますが、酒井さんの描いてくださったおじさんの姿は、彼にも過去と背景があることがよりはっきり膨らませられたと感じています。

©Sakai Komako

今、眠れないでいる人へ

――絵本が出来上がってみて、いかがですか。

 この本を誰に向けて作ったかといえば、やっぱり「今、眠れないでいる人」や「いつか眠れない夜があるかもしれない若い人」なんですが、自分に向けた本でもあるんだと、出来上がった今思っています。橋の上から川を見ていた子どもだった自分に、今の自分が話しかけられたら……そんな思いが私にもあるらしい。

 「目の前の現実と自分」だけじゃない、自分の内面にある世界と自分の繋がりを意識することで、救われたり、豊かになったりすることがあるはずだと信じているので、それをどうやって伝えるか、ということだけ考えて書きました。ひょっとしたらこの本を読んで、「まったく何を言っているのかわからない」という人もいるかもしれない。でも、こんなふうにひとつひとつ夜を越えていけばいいんだ、そう思う人がひとりでもいたらうれしいです。

――辛いことがあったときにどう乗り越えるか、自分なりの方法を探すということですね。

 辛い局面を生きのびるための方法は必要ですよね。それから、橋の上ですれ違って言葉をかけるだけでも、その子の特別な存在になりうる。そういうことが起こりうるのが人間だと信じています。

 いろいろお話ししましたが、あまり構えずに、酒井さんの素晴らしい絵を楽しむ気持ちで手にとっていただけたらと願っています。緩やかに読んで、心に留まるものがあればいい。読むことの底力ってそういうものだと思うのです。