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阿泉来堂さんにホラー映画のクリーチャーの本質を教えた「ターミネーター2」

©GettyImages

 僕は生来、とにかくミーハーで優柔不断な性格をしている。だから「今まで見た中で一番好きな映画は?」などと訊かれても、簡単に一つには絞れない。しかし、「最も思い入れのある映画は何か?」と聞かれると、これはもう即座に「ターミネーター2」と答えるだろう。

 いまさら説明する必要などないかもしれないが、「ターミネーター2」は、ジェームズ・キャメロン監督によって制作され、1991年に公開されたSF超大作。

 近未来、人類と機械による最終戦争が行われるなか、人工知能「スカイネット」は過去にターミネーターなる殺人マシンを送り込み、レジスタンスを指揮するジョン・コナーを抹殺しようと企む。それに対抗するため、人類もまた一体のターミネーターを1991年へと送り込むというストーリーだ。主演のアーノルド・シュワルツェネッガーがシリーズを通してターミネーターを演じたことでも有名である。

 さて、まがいなりにもホラー作家を名乗る僕が、なぜ銃をガンガンぶっぱなし、迫力のカーチェイスが繰り広げられるSF作品に思い入れがあるのかというと、答えはとても単純で、父親がこの映画の大ファンだったからだ。

 当時、VHSが主流の中、父はこの作品のレーザーディスクを購入し、何度も繰り返し視聴していた。僕はその頃、小難しい話など理解できない子供だったわけで、何故ジョンや母親のサラがターミネーターに追われているのか、何故アーノルド・シュワルツェネッガーが演じるT800が彼らを守ってくれるのかすらもよくわからず、液体金属でできた新型ターミネーターT1000との壮絶な戦いに大興奮していた。

 けれど回数を重ねていくうち、少しずつ話の流れが見えてくる。どうやらこのスカしたイケメンボーイを守らないと、人類はスカイネットによって絶滅させられてしまうらしい。それで未来の仲間がT800を仲間として送り込んでくれたのだと。

 そのことがわかってくると共に、僕はいつしかジョン・コナーと自分を重ねるようになっていった。T800は恐ろしい敵から僕を守ってくれる心強い仲間であり、冗談や悪い言葉を教え込む友人であり、流した涙を拭ってくれる父のような存在というわけだ。

 ジョンとT800との間に生まれる絆。そこには強い人間ドラマがある。もっと言うなら、人と「人ではない何か」との間にあるドラマだ。そのドラマに僕は魅かれ、強い憧れを抱いたものである。

 この「ターミネーター」シリーズ、実は一作目はかなり雰囲気が違っていて、アーノルド・シュワルツェネッガーが敵役として登場する。どれだけ弾丸を打ち込んでもびくともせず、執拗に追いかけてくる不死身のマシンが大爆発によって肉や皮膚を失い、下半身までも失ってなお迫って来る執拗さや、視覚的な気味の悪さはもはやホラー映画のそれである。

 その一作目を下敷きに、恐怖の象徴でもあったT800が二作目で味方となることで、これ以上心強いものはないという絶対的な安心感を得られるわけだ。

 このことから僕は、ホラー映画において登場するクリーチャーは作品の顔であると同時に、日常や常識をぶち壊してくれるヒーローだという事を学んだ。彼らは何者にも縛られず、不況に喘ぐこともなく、嫌味な上司に媚びへつらったりもしない。本能のままにどこまでも突き進む、まさに誇り高きヒーローなのである。

 そういう感覚を幼少期の僕に与えてくれたのは間違いなくこの「ターミネーター2」だし、映画を身近なものとして認識させてくれた恩人のような存在でもある。現実世界では到底得られない貴重な体験や恐ろしい怪物、そして何より、心震えるドラマを与えてくれる映画との時間があったからこそ、僕はこうして創作の世界に足を踏み入れ、あの頃大好きだった作品についての記事を書かせてもらえている。「ターミネーター2」は、そういう意味でも僕を救い導いてくれた作品だ。

 今回、このコラムを執筆するにあたり、本作品をあらためて見直してみた。バイクに乗りながらショットガンをくるりと回転させるシュワちゃんの姿は何度見てもかっこよく、これには多くの子供たち――いや、かつて子供だった多くのおじさんたちまでもが心を奪われ、憧れを抱いたことだろう。けれど最も僕が心を震わせるのは最後の別れのシーンだ。ただ悲しいだけではない。悲しみの先に希望があり、人と殺戮マシンとの間で育まれた絆によって生じる切なさが大きな余韻を残す。あのラストシーンは、年を追うごとに感動が増していく気がする。それはきっと、あの頃子供だった僕が大人になり、そして父親になったことが大きく関係しているのだろう。

 かつて少年ジョンに姿を重ねていた僕は今、彼を守るT800に自分を重ねている。それはもしかすると、「ターミネーター2」の中に、あの頃の僕が大人に対して求めた強さと、今の僕が我が子に対して抱く想いが、時を超えて凝縮されているからかもしれない。