小説を書く編集者は決して珍しくはない。しかし、この人が書き始めたきっかけは、誇りを持って働いた者がいつかみな味わう悲哀にあった。羽鳥好之さん(63)の『尚、赫々(かくかく)たれ 立花宗茂残照』(早川書房)は、晩年をどう生きるかという問いに希望を照らそうとする歴史小説だ。
文芸春秋で長く小説畑を歩んできた。オール読物編集長として直木賞選考会の司会を務め、文芸書籍部長、文芸局長を歴任。渡辺淳一、平岩弓枝、浅田次郎、林真理子といった錚々(そうそう)たる作家を担当してきた。関わっていない直木賞作家を探す方が難しい。
2020年夏、監査役に。役員会に出て議事録を作り社長に意見すれば業務は終わる。「暇なんです。編集者としての僕はもういらないと会社はいう。いずれ定年だと頭ではわかっていたが、予想よりはるかにショックでね。野良犬のように街をうろうろしているうちに、これは何か難しいことをやらないと自分のメンタルが維持できないという危機感がありました」
折しもコロナ禍が重なり、日常的だった作家との会食やゴルフも遠のいた。「せっかく時間があるのだから、小説を書いてみたらどうかな、書けるかな、と」。学生時代も出版社に入ってからも小説を書こうと思ったことはなかったそうだ。
ときは秀忠から家光に世が移る江戸・寛永期。立花宗茂に将軍は問う、偉大な祖父はなぜ関ケ原に勝ったのかと。敗軍の老将は次代の担い手に何を語り、残してゆくのか。
「劇的に変化する時代。急に管理社会へ向かっていく転換期を戦国大名はどう思って生きていたのだろうか。構成は編集者だからすぐに思いつく。マドンナが必要で、ラストに緊張感を持たせて、500枚ぐらいかなと」
そうして書き始めると、1章はあっという間だった。「新人賞の松本清張賞や芥川賞直木賞を長年やっていたので、これだったら勝負できるかもしれないと応募を決めた」。日経小説大賞は最終選考で落選。しかし旧知の編集者から「読ませてほしい」と声がかかり、刊行につながった。
デビュー作ながら落ち着いた筆致だ。司馬遼太郎に津本陽、葉室麟(りん)。敬愛する作家が継いできた、歴史小説ならではの文体、骨法を大切にしたという。
宗茂の元には、丹羽長重、毛利秀元ら同世代の敗将が引き寄せられるように集まってくる。互いに信を置く交遊は心地よい。彼らを強く結びつけるのは、苦くも熱い関ケ原の記憶だ。「人生の最後を生き抜くときに、同じ時間、同じ価値を共有した仲間が重要だと、自分も一緒に本を作った作家や共に過ごした編集者仲間に助けられたから、そう思うのです」(中村真理子)=朝日新聞2022年11月2日掲載