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「旧約聖書がわかる本」 権力超える「思想的な抵抗の書」 朝日新聞書評から

評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2022年11月12日
旧約聖書がわかる本 〈対話〉でひもとくその世界 (河出新書) 著者:奥泉 光 出版社:河出書房新社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784309631561
発売⽇: 2022/09/22
サイズ: 18cm/434p

「旧約聖書がわかる本」 [著]並木浩一、奥泉光

 本書は、対話形式による、旧約聖書への読書案内である。対話を担うのは、聖書学の第一人者と、その教え子である異才の小説家である。ジャズの「スタジオセッションのようにして行われた」というこの対話は、軽快な調子で読みやすいが、内容は深遠である。また、ここで提示される旧約聖書の並木訳は新鮮だ。
 聖書は、神の啓示として読む人もいれば、文学作品、または歴史資料として読む人もいる。本書は、そのいずれとも異なり、誰が、どんな状況で、いかなる意図をもって書いたのか、という観点から考察する。その過程で、イスラエルのような弱小民族がなぜ国土を失って離散しながら生き残ることができたのか、それがいかに奇蹟(きせき)的なことであったか、また、その民族の苦難の結晶である旧約聖書が、いかに圧倒的独自性を持つものであるのか、さらにはそれがなぜ、自由、平等、人権といった近代的理念の淵源(えんげん)とされるまでの世界史的影響力を持ちえたのか、といったことが、浮かびあがってくる。
 旧約聖書は、何百年ものあいだに複数の人々によって書かれた、きわめて多様な文書をまとめたものである。彼らが生きた古代イスラエルは、「当時の巨大文明圏、エジプトとメソポタミアの狭間(はざま)にあって、たえず両文明から圧迫される、あるいは吸引される状況下にあった」。民族消滅の危機の中で、「自分たちのアイデンティティを確立し保持していくことが大きな課題だった」。そうした状況にあって、イスラエルの民は、メソポタミアでもエジプトでも支配的であった王権と国家のあり方を批判し、国家ではない「アソシエーション」のような社会を希求した。
 著者たちは、旧約聖書は、何よりもこのような「思想的な抵抗の書」であると見る。たとえば、冒頭にある天地創造のくだりは、「神話」のように見える。しかし、そうではない。神話というものは一般に、現行の支配体制と支配者の神的な起源を語って、それらを正当化する性格をもつ。つまり、王(権力)と神が、実質的に等しいとみなされる。しかし、天地創造を読み解いていくと、権力と神とは対立するものである、という思想が見えてくるのだ。つまり、権力は人間がつくった悪(あ)しきものにすぎず、神はそれをはるかに超える力をもつ。示唆されるのは、現状は、必然でも運命でもなく、変えることができること、そして人間は平和を築いていくべきであり、神はその仕事を人間に託したのだ、という信念である。
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なみき・こういち 1935年生まれ。国際基督教大名誉教授。元・日本旧約学会会長。著書に『ヨブ記注解』など▽おくいずみ・ひかる 1956年生まれ。作家。近畿大教授。『石の来歴』で芥川賞、『神器』で野間文芸賞。