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楠木建「絶対悲観主義」 ダラダラ生きて心を自由に

 絶対悲観主義。世の無常を悟った新手の仏教運動家の本かと思いきや、なんと著者は高名な経営学者。どういうことなのかと本を開くと、「自分の思い通りにうまくいくことなんて、この世の中にはひとつもない」という前提で仕事をするための「緩い哲学」だと説明される。
 ふむ、これは古代ローマで流行(はや)ったストア哲学の亜種だ。自分でコントロールできることについては頑張るけど、コントロールの圏外にあるものについては諦める。そう自他の区別をつけることで、せめて心の中の自由を得ていこうとする思想だ。

 これが現代のビジネス界隈(かいわい)で流行っているのである。というのも、現代のビジネス環境と古代ローマは結構似ているからだ。資本主義もローマ帝国もあまりに巨大だから、個人の力ではどうこうしようがない。円安も蛮族もコントロールできない。だったら、世界に期待するのは諦めて、粛々と個人を生きようというストイック(ストア派が語源だ)な結論になる。
 なるほどね、だから売れているのか、と早合点して読み進めていくと、徐々に雲行きが怪しくなる。冒頭こそ絶対悲観主義的な仕事の心構えが説かれ、「おお、できる男はこんな感じなのか」とつい嘆息してしまうのだが、後半に至るにつれて著者の私生活を貫く偏屈おやじ的人間観察と美学が存分に発揮されるようになる。婚活について、オーラのある人について、極(きわ)めつけは最後の章「初老の老後」。週刊現代が頑(かたく)なに高齢者男性向けの特集にこだわるさまを紹介しているのだが、本当に声を出して笑ってしまった。傑作エッセイである。

 絶対悲観主義というと仰々しいが、これは脱力のススメだ。気張らず、ダラダラと生きる。思えば、これこそが心の自由であり、ストア哲学の賢人たちも本当はそんな感じだったのかもしれない。愛すべき経営学者は身をもって、脱力した生き方を示し、張り詰めている私たちを癒(いや)してくれるのである。=朝日新聞2022年12月3日掲載

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 講談社+α新書・990円=5刷3万6千部、電子版で6千ダウンロード。6月刊。版元によると読者からは「笑いながら学べる」「ほっとする」という感想が来たという。