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「ひこうき雲」キム・エランさんインタビュー 「貧困」見つめた短編集、10年後に感じた社会の変化とは

キム・エランさん=吉野太一郎撮影

貧しさを嫌悪する若者たち

――本書のオリジナルが韓国で刊行されたのは2012年。10年の時を経て、邦訳が出版されることをどう感じていますか。

 時差が与えてくれる特別な感覚ですね。『ひこうき雲』は30代前半の頃に出した短篇集ですが、あの頃の自分に異なる言語で再会するような感覚です。作家の多くは、初期の作品は自分の物語を書くと思います。私も同じく、自分の物語から出発しましたし、初期は自分の家族のことを題材にすることが多かった。それが、30歳に差しかかったころ、自分の物語だけでは駄目なんだと気づき、他の人の物語にも耳を澄ますようになりました。その初めの作品と言えるのが、この『ひこうき雲』です。

――立ち退きを迫られる「水中のゴリアテ」だったり、母の家をだまし取られ、行き場を失くす「かの地に夜、ここの歌」だったり、どの短編の主人公も己の貧しさを感じています。前作の『走れ、オヤジ殿』『外は夏』もそうですが、なぜ貧しさを題材にすることが多いのでしょうか。

 貧しさや貧困というのは、韓国文学が以前から取り上げてきたテーマです。ここに出てくる立ち退きや劣悪な住居環境、マルチ商法などは、実際、私のごく近しい人々に起こったことで、貧しさは、ありふれた隣人の話としていつも身近にありました。

――この作品が書かれた10年前と、今の韓国とでは、そうした背景に変化はありましたか。

 この短篇集には「三十歳」という、大切な人をマルチ商法に引き入れてしまう話があるのですが、今でもこの短編が20代の若者世代に好まれ、読まれています。それは、私の書いたものが歳月に勝ったというよりは、世の中がそんなに変わっていないということだと思います。

 ただ、変化も感じています。それは、貧しさに対する人々の態度です。以前は、貧しい隣人や親しい人に対する申し訳なさや後ろめたさ、連帯責任の感情というのがあったと思うのですが、いまは貧困自体をさげすみ、嫌悪する状態に変わってきたのではないかと感じています。

――なるほど。日本では、「自己責任」や「自助」という言葉が横行し、貧しい境遇に陥った人に厳しい風潮があります。韓国でも似たような状況があるということでしょうか。

 ええ。たとえば、わずか十数年前には、「再起」とか「癒やし」をテーマにした本が流行ったのですが、今ではほとんどそういう本は見かけなくなりました。この貧困に対する厳しさは、今、私が気になっていることのひとつです。

 まだ邦訳されていないのですが、コロナ禍を題材に描いた小説があります。それは、ウイルスの恐ろしさや病気についてではなく、コロナ禍をきっかけに起こった「金融資本主義」について書いたんです。若い人々が仮想通貨や株に投資するようになり、実際に手足を動かして働く人々のことを馬鹿にするようなムードが生まれ、働くことの価値が落ちてしまった。そのことが気にかかっています。

目撃者も傷つく

――再開発によって押しやられる人々を描いた「虫」や「水中のゴリアテ」、先ほどのマルチ商法を扱った「三十歳」なども、当時の韓国の事件や社会問題がモチーフとなっているそうですね。どのような思いで小説に反映しているのでしょうか。

 私はそんなに社会派の作家ではありません。これらの作品も、実際の事件の固有名詞は書かずに、読んだ方がなんとなくあのことかな? と思い浮かべる程度の描写に留めています。作家としての使命感で書いているというよりは、私も事件や社会問題の目撃者の一人で、そこで受けた驚きや傷を言語化する必要があったんです。私は、目撃者も傷つくと考えています。

 ある事件が起こった時、それを表現するには、ニュース記事、歴史、統計といったいくつかの方法があると思います。それが私の場合は物語なんですね。ストーリーとして、出来事を自分なりに追体験し、それによって整理しているんだと思います。

――「かの地に夜、ここに歌」に心揺さぶられました。孤独なタクシードライバー・ヨンデが、中国出身の出稼ぎ労働者だった妻が吹き込んだ中国語会話のテープを聴くというお話です。どこから着想したのでしょうか。

 外国語が登場する小説を書いてみたかったんです。また、愛する人へのいちばん大きな贈り物はなんだろうと考えたときに、相手の言語を学ぶことなんじゃないかなと考えたんです。職業柄、言葉というものに愛情を持っていて、消えゆく少数民族言語の最後の話者を描いた「沈黙の未来」(『外は夏』収録)を書いたこともあります。

――日本では「82年生まれ、キム・ジヨン」のヒット以降、韓国の女性作家=フェミニズム文学でくくられる傾向にありますが、キムさんの作品は抑圧された女性、というより、社会に抑圧された貧しい人々に向いている気がします。ご自身では、フェミニズムや#MeTooについてどうお考えですか。

 もちろん心の中では問題意識を持っています。ただ、直接言及するか、書かないことで語るか、二つの表現方法があり、私は後者を選んでいます。韓国のフェミニズム文学は最近始まったことではなく、先輩作家たちが種を蒔き、苗を植えてくれた。それが今、枝葉を広げ、細分化しているところだと感じています。その流れを踏まえると、性差別そのものを描くことが多かった初期に対して、今は、階級や世代の違いによる葛藤や軋轢を描いた作品が多いように思います。

ある日、RMさんのキャプチャが

――日本の小説は読まれますか? 日本人作家との交流は?

 若かったころ、小説の勉強のために高橋源一郎さんの作品をたくさん読みました。散文的なものにとくに惹かれます。「東アジア文学フォーラム」という、日中韓の作家が各国で集まる研究会があるのですが、そこで日本の作家の皆さんとお会いする機会があります。その時の開催地や出身地とともに記憶しているので、日本の地図を頭の中に思い浮かべるとき、北九州であれば平野啓一郎さん、東京だと中島京子さん、大阪・京都と言えばいしいしんじさん……というふうに作家名が出てくるんです。頻繁に会う間柄ではありませんが、異国の地名とともに思い出す誰かがいる、というのはうれしいつながりです。

――この本の帯には「BTSのRMさんも愛読」とありますね。

 残念ながら面識は全くないのですが、ある日突然、友達がキャプチャを送ってくれて。RMさんがテレビ番組か何かで手に『ひこうき雲』を持っているところが映ったらしいんです。今読んでいる本としてお話してくださったようで。びっくりしましたが、とてもうれしかったです。

――改めて、日本の読者に伝えたいことはありますか。

 ゆっくりと、コンスタントに自分の著作が紹介されている国のひとつが日本です。これは私の書いたものに出会ってくださった日本の方々の一瞬一瞬が、雪のように降り積もってなせることだと思います。その一瞬一瞬があったからこそ、今日また日本に来て、こうしてお話しすることができました。ありがとうございます。