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バランスの取り方 千早茜

 茶を淹(い)れない日がない。ここでいう「茶」とは、自分のために淹れる温かい飲料であって、客人に淹れるものは「お茶」と呼んでいる。朝起きて茶、食事の前後に茶、仕事前に茶、合間に茶、寝る前に茶。中国茶、紅茶、ハーブティーなどを揃(そろ)え、自宅で仕事をしているのをいいことにしょっちゅう淹れている。

 サウナ好きの友人たちが交わす「ととのう」という言葉が、自分の茶淹れにあたるのかと思っていたが、最近どうも違うと気づいた。どうやら「ととのう」はちょっとした恍惚(こうこつ)状態にあるらしい。暑すぎるのも冷たすぎるのも苦手な私はサウナも水風呂も数秒で飛びだしてしまい、永遠に「ととのう」感覚を会得できないので比べようもないが、茶には恍惚感はない。自分で淹れた茶は不味(まず)くはないが、夢見心地になるほど美味(おい)しいということもない。いかにも自分らしい味がして、落ち着く。自分の匂いが浸(し)み込んだ布団にくるまっているような感じだ。

 故に、喜ばしい報(しら)せを受けたときや、ものすごくショックなことが起きたときも、とりあえず茶を淹れる。愛用している茶葉は私の吉事凶事には影響されない。淹れた茶の味が平素と違うときは私のせいなのだ。集中力を欠いているか、心身の不良で味覚がおかしくなっているかのどちらかであることが多い。「おめでとう」の歓声や同情のまなざしに背を向けて、茶に詫(わ)びつつ自身の現状を整理する。

 茶の味くらいでと思われることもあるだろう。けれど、私は茶の味がわからなくなるような暮らしは御免なのだ。良いことも悪いことも平静を乱すという意味では同じで、茶でバランスを取ろうとしてしまう。起伏は少ないほうがいいという生き方は我ながらつまらないが、そうでなくては落ち着いて文章が書けないし、年々、誰にどう思われても自分が心地好(よ)いほうがいいなと感じるようになってきている。そんな偏屈な物書きのエッセイだが、お付き合いいただけると嬉(うれ)しい。=朝日新聞2023年1月11日